20歳でドイツに渡った際、同じチームにいた岡崎慎司に助られた。それを分かったうえで後輩たちに思うことは・・・(写真:JFA/アフロ)

 20歳で渡独、8シーズン目を迎える酒井高徳は他の日本人選手にはない「経験」を積んでいる。日本代表として、2010年南アフリカワールドカップ(※サポートメンバー)からブラジル、ロシアと3大会を経験。2016年にはブンデスリーガで日本人選手で初めてのキャプテンを務め、厳しい降格争いを戦い、ロシアワールドカップ後には日本代表から退く決意をする――。

 稀有な「経験」を積んできた酒井高徳は、どんなことを考えながらプレーをしているのか。そのプロフェッショナリズムとはどんなものなのか。連載でお送りする。

シーズン終了後に申し出た「キャプテン辞退」

 僕が所属するハンブルガーSVでキャプテンに指名されたのは、2016年11月のこと。

 成績不振による監督交代で就任した新監督に言われた。

「高徳がこのチームでもっともプロフェッショナルだ。誰とでもコミュニケーションをとり、そして誰もが高徳の言葉に耳を傾けている」

 意外だった。キャプテンになりたいなんて思ったこともなく、自分がリーダーシップを発揮しているという意識もなかった。ただ「やるべきことをやっている」というだけだったから。でも、選んでくれた気持ちに応えたいと思った。

 ドイツに移籍して来たのは2011年。僕は母親がドイツ人だけれど、それまでドイツに住んだこともなく、ドイツ語がまったく話せなかった。だから、通訳をつけてもらい、少しずつドイツ語を覚えるところからスタートした。岡崎慎司さん(現レスター)がいるチームへの移籍だったので、それも心強かった。

 ただ、2015年夏に同じドイツ・ブンデスリーガのハンブルガーSVへ移籍したときは、通訳を頼むことはなかった。というか僕自身からそれを断らせてもらった。

 もうひとり立ちすべきだと思ったからだ。

 通訳の存在は仕事をするうえで、非常に頼りになる。けれど、通訳がいれば甘えてしまうし、チームメイトとの橋渡し役の通訳の存在が、壁になってしまうこともある。

 どんなにつたない言葉であっても、現地の言葉で話すことが監督やチームメイトとのコミュニケーションでは重要だった。実際、そんなふうにチームへ飛び込んだ僕をチームメイトは受け入れてくれたし、気がつくと「高徳はドイツ人だ」とでもいうような空気が生まれ、僕自身もドイツで育った人間のような気になる。そうなれば、自然とドイツ語を使わざるを得ないわけで、ドイツ語も上達していった。

 キャプテンになってからは、試合後には必ず、テレビや新聞の取材を受ける。もちろんドイツ語で。記者との距離も近くなり、誰もが僕のことを信頼してくれているのが嬉しかった。

 ただ残念なことに、成績が振るわず昨シーズン――それまでも毎シーズン2部降格の危機を乗り越えて、1部に残留してきたが――降格をしてしまった。ハンブルガーSVは、ブンデスリーガ創設時から所属するクラブで唯一降格の経験がないクラブだったが、55年その記録は途絶えたことになる。

 自分たちが果たせなかった責任の重さを痛感した。キャプテンならなおさら重いだろう。

「来季のキャプテンは僕以外の人間がやったほうがいい。若手に任せるべきです。ぼくらベテランがサポートするという形にしたほうがいい」

 シーズン終了時に僕は監督にそう告げた。

 チームを変えるべき時だと思った。

 ドイツでは、監督と選手との距離が近く、選手は監督に対して、率直に自分の考えを告げる。そして指揮官はそれに耳を貸す。上司であっても両方向のコミュニケーションをとるのが当たり前だ。