小池百合子との愛憎、小泉進次郞に対する慈愛
本来であれば、総理大臣であり日本のリーダーそのものである菅義偉さんがカメラの前に立ち、あるいは街頭に出て、国民に向けて「私はこう考えています」という話を伝えてくれさえすれば。または、記者会見の場で悪意を含みながらも菅さんの真意を聴きたいマスコミの面々に、もう少し正面から菅義偉さん本人の言葉で考えや狙い、気持ち、見通しを語り、国民に理解と協力、そしてみんなでコロナに打ち勝ち、より良い社会を築くための結束を呼びかけられていれば。
菅義偉さんの仕事の品質の高さに比べて、あたかも良い仕事をしていれば説明などせずとも国民は分かってくれるはずだというような朴訥さが、コロナという危機的局面では仇(あだ)となり、結果として「菅義偉さんは総理大臣の椅子にしがみつきたいから、言質を取られないようにするため前に出ないようにしているのだ」という誤解を呼んだのではないかと思います。
本当であれば、そういう菅義偉さんの真意を知り、それを国民に伝えていくべきブレーンと言われる人々(高橋洋一さんや三浦瑠麗など)が、まるでコロナは風邪だと言わんばかりに経済優先の政策を主張して、菅義偉さんが本当に救った日本人の命の重さ、尊さを理解しないまま股裂きになってしまったのは残念なことです。
恐らくは菅義偉さんとは何だったのかという振り返りの中で、コロナ下の政権運営という非常時に菅さんが優先させたこと、それによって多くの日本人が助かったこと、ワクチンの交渉も、こども庁もデジタル庁もその他重要法案の成立も改めて評価されることになるでしょう。
一方で、未来に残る禍根はやはりデジタル庁と脱炭素社会(二酸化炭素排出量削減に対するコミット)です。
正直、地味で口下手な菅義偉さんですが、時に派手で魅力的な政治家たちの不倶戴天の敵となり、時にただの手駒としか思えない若手を後見人のような慈愛で包み込むということがあります。前者は都知事の小池百合子さんとの抜き差しならない感情的な対立であり、後者は環境大臣に据え、やりたい放題やらせた上に、最後は涙の説得で総裁選出馬辞退の原因にまでなった小泉進次郎さんです。
どちらも為政者としては著名で人気者だけど、政策実現という点では中身のない人たちです。実務型で地味な菅義偉さんの周りにいて、あらゆる重要な局面で、菅義偉さんの政治人生で絡んできたのが印象的ですが、ある意味で、彼らは菅政権だから輝けたという面はあるかもしれません。