(岩田太郎:在米ジャーナリスト)
秋篠宮家の眞子内親王(29)が、婚約が内定している小室圭氏(29)と年内に結婚され、米国のニューヨークを拠点に生活される運命となった──。そんな印象を与えるマスコミ報道や、識者の解説が喧しく(かまびすしく)なってきた。曰く、
「誰も阻止できない。夫の夢についていく選択をした」(国際政治学者の三浦瑠麗氏)
「眞子さまの結婚に祝福を」(皇室ジャーナリストの渡邊みどり氏)
「幸多きことをお祈りする」(武蔵大学社会学部教授の千田有紀氏)
「反対7割でも20代は過半数が賛成~好き同士で運命だから」(女性自身)
などなど、まだ実現してもいない結婚が「ご成婚」の論拠とされている。
「30歳の誕生日をニューヨークで小室さんと共に迎えたいという気持ちがあるとすると、逆算すると最も早い場合、9月20日すぎくらいには婚姻届を出す」(テレビ朝日)との具体的な解説さえ出される始末だ。
さらに重要であるのは、「眞子さまの結婚による皇籍離脱で、(結婚相手の小室圭さんの血を引く天皇が出る可能性がなくなり、皇統の安定のため)女性宮家を創設する議論が一気に進みそう」(日刊ゲンダイ)、「皇室というもののターニングポイントに」(お笑いタレントの松本人志氏)など、内親王の「ご結婚」が皇室・皇統の在り方、ひいては日本の国のアイデンティティそのものをひっくり返すチャンスだとする論調が勢いを得ていることだ。
しかし、内親王の「ご結婚」は、もう何人たりとも覆せない決定事項ではない。なぜなら、日本国憲法はその最も重要な冒頭部である第1章第1条において、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であると定め、その根拠として「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と宣言しているからである。
天皇(ひいては皇族)の地位を決定した主権者の大多数の反対を押し切り、憲法に定められた天皇の家族や血統の在り方を一人の内親王の感情でなし崩し的に相対化してしまうことは、憲法をないがしろにするだけでなく、国民の統合をも破壊する可能性がある。
従って、この「ご結婚」を祝福し、応援・推進する者たちは、「知りながら、意図的に、心から(knowingly, willfully, and wholeheartedly)」憲法を踏みにじるリスクを冒している。この論考においては、内親王の「結婚」について、憲法の成り立ちや意図、さらに階級格差の面から論じてみたい。