突然の出来事だった。菅義偉首相が3日昼、自民党臨時役員会で総裁選に立候補しないと明言した。9月29日に選出される新総裁が、第100代内閣総理大臣に就任した時点で菅内閣は総辞職する。この間、菅首相は正面突破を何度も図り、続投を前提にした強気の構えを崩さなかった。一夜にして態度が変わった背景は何なのか。「退陣」決断までの5日間を振り返る。
8月30日(月)「恫喝と非情」
菅首相は8月29日の日曜日、赤坂の衆院議員宿舎で1日を過ごした。外出が一切ない日は5カ月ぶりである。菅首相はもともと休むという習慣がなく、その意識すらも持っていないタイプだが、この日の静養で相当のエネルギーを充填したのは間違いない。翌30日からフルパワーで政局に挑んでいく。
30日午前11時24分。総裁選出馬に意欲を示していた下村博文政調会長が官邸を訪れ、菅首相と面会した。下村氏は菅首相から出馬断念か政調会長辞任を迫られた。下村氏はあっさり白旗を掲げ、出馬見送りを決めた。菅首相の“恫喝”が炸裂した瞬間だった。面会時間はわずか13分だった。
菅首相の動きは止まらない。同日午後3時31分、二階俊博幹事長と林幹雄幹事長代理を官邸に呼んだ。経済対策の策定指示、党の人事刷新についての相談だった。経済対策の指示はこの時点で「退陣」する気持ちが0%であったことを意味する。
驚くべきは、菅首相が二階氏をクビにすることで難局を打開しようと考えたことだ。政権維持のためなら、菅政権の生みの親であり、5年以上幹事長の座に君臨するドンでも容赦なく斬る。勘の鋭い二階氏は菅首相の意向を察知したとみられ、「(自分に)遠慮せずに人事をやってほしい」と答えた。
菅首相はこの1年、「二階氏の言いなり」「二階氏の支持がなければ何もできない」と言われ続けてきただけに、その見方を覆す非情な判断だったといえる。一方で、「二階外し」は党内世論に悪影響ももたらし、二階氏を斬って自らが首相の座にとどまることへの批判が次々に出始める。