米長邦雄氏(右から2人目)。2004年10月28日、園遊会にて。写真:ロイター/アフロ

(田丸 昇:棋士)

将棋界の枠を超えた活動ぶり

 2012年(平成24)に69歳で亡くなった米長邦雄永世棋聖は、「泥沼流」と称する力強い将棋を指して活躍し、名人などのタイトルを数多く活躍した。また、爽やかな人柄と博識は各界の著名人たちを魅了し、長嶋茂雄さん、瀬戸内寂聴さん、大橋巨泉さんらと交流した。週刊誌で「人生相談」の連載企画を務めたり、参議院選挙に出馬の意向を示したこともあった。米長の将棋界の枠を超えた活動ぶりは、社会的にも注目されたものだ。

 米長は人生の折々に、数々のユニークな名言を残してきた。それらの中で、最も有名な名言の一節が標記の文言。一流棋士になった30代後半の頃、「三人の兄たちは頭が悪いから東大に行った。私は頭が良いから将棋の棋士になった」と語り、大いに話題になった。

 米長は自叙伝でその理由について、「長兄は高校時代の3年間、東大に合格するために、夜の7時から深夜の2時まで、毎日7時間は受験勉強をしていました。延べで約6000時間になります。私は中学から高校までの6年間、毎日5時間は将棋の勉強をしていました。延べで約1万時間になります。私が勉強した延べの時間は、兄たちよりずっと多く、しかも内容がかなり濃かったのです。そうした自負の表れから、《兄たちは頭が悪いから東大に行った》と言ったんです」と語った。

 米長は、勉強の質量の違いを強調したわけだ。しかし本心は、東京大学出身者の頭が悪く見えるほど、将棋の棋士の方がはるかに頭が良い、と主張したかったのだろう。

「東大」というブランドは、世間で輝かしいものがある。テレビのあるクイズ番組では、「東大王」という文言が表題になっている。それを逆手に取り、将棋の棋士は東大出身者に匹敵するほど素晴らしい存在なんだと、アピールする意図があったと思う。

 米長は棋士のかたわら、中央大学経済学部に進学した。幅広い生き方を目指していた。しかし、将棋と学業の両立が次第に難しくなり、後年に中退した。なお、作家の逢坂剛さん、俳優の古谷一行さんは、学部は違うが同期生だった。

 それにしても、同じ兄弟の中から三人もの東大出身者が出たのは珍しい。そこで米長家のルーツを遡ってみる。