臨床現場では人工肺(ECMO=ExtraCorporeal Membrane Oxygenation)が奏功したといった報告もなされています。

 しかし、この手の機器は、素人の患者の横に機械だけおいておけば、勝手に耳にひっかけてくれるというような代物ではなく、多数の医療関係者が場合によっては24時間体制、つきっきりでケアして、危篤状況を脱出する最終兵器のようなものであって、おいそれと台数だけ数字をあげて、どうなるものでもありません。

 これらの高度な機器を用いて患者をケアするパラメディカルの人数が十分に足りている状況ですら、面倒が増えるでしょう。

 ましていわんや、現下の状況は、日本だって一つ間違えば、病床数が足りなくなり、医師がバタバタと倒れてしまう、医療崩壊状況に直結しないと決して断言できない状況です。

 ボタンを押せば全自動で問題解決(などということは、いささかでも現場を考えれば、絶対にあり得ないわけですが)的な、受け身ユーザーの了見でおかしな書き込みがあることに憂慮を覚えます。

 しかし、イタリアで不足し始めているのは決して医師や看護師だけではない。実は葬式もまともにあげられない状況にもなっている。

 いや、正確に言うなら「現地における<まともな葬式>を挙げることで、司祭がバタバタと犠牲になっている」。

 あまり注目されない一面を考えてみたいと思います。

終油の秘跡:キリスト教的死生観

 日本人の感覚で考えれば、治療法のないウイルスに冒されて、瀕死の状態にある患者を隔離しなければならないのは、いうまでもないことでしょう。

 またその遺体の措置も、衛生の観点、2次感染防止の視点から、厳重に取り扱われる必要がある。誰も疑問を差し挟む余地はないでしょう。日本国内であれば特にそうでしょう。

 そして、その同じ常識がイタリアやスペインで通用するかと問われれば・・・。絶対にそんなことはないのです。

 イタリアでは、死に瀕したコロナウイルス肺炎患者、あるいは死亡直後の遺体から、伝統的な宗教儀礼に則ることで、無防備な装備で接さなければならない聖職者(分かりやすく言えば神父さん)にウイルスが感染し、すでに相当数の死者が出、今後も広がることが懸念されています。

 具体的に説明します。