赤木俊夫さんの手記から見えてくるのは、国によって仕立て上げられた犯罪を着せられた「絶望」だ。

「・・・森友学園を巡る公文書改ざんに関与させられて追い詰められ、心を病み、2018年3月7日自ら命を絶った」

 赤木俊夫氏の「手記」が明らかになった現時点で、上のように記すほど、手ひどい間違い、さらには「タチの悪い省略」はない、と言わざるを得ません。

 報道によれば、確かに赤木氏は精神科の加療を受け、以前とは別人のようになってしまったとのことです。

 しかし、精神科の加療を受けつつ自殺(未遂を含む)した人を身近にもつ一個人として思うのは、これはいわゆる、疾病に基づく「発作的・衝動的な希死念慮」ではないということです。

 冷静な意識を最期まで保ったままの、覚悟の自殺、「憤死」と呼ぶしかない、凄まじい最期だった。

「心を病み」「自ら命を絶った」などという安っぽいマスメディアやライターが濫用する、手垢のつきまくった文字の並びは、その本質を何一つ伝えないことに、怒りを禁じえません。

 週刊文春3月26日号は「完売」したとのことで、水で薄めたようなネットメディアで関連の報道を見る方もおられると思います。

 事実、私も3連休に入るまで、コロナ回りを含む公務の新しい雪崩に襲われ、元NHKの大阪日日新聞、相澤冬樹さん渾身の記事を読むまで、ことの本質にぼやけた誤解を抱いていました。

 一体何があったのか?

 赤木氏の遺書というべき「手記」ならびに相澤氏のルポルタージュで示された「新事実」に即して、ありうべからざる腐敗の構造を確認してみたいと思います。