1995年3月20日の東京・日比谷線神谷町駅。地下鉄線内に猛毒のサリンを撒かれてホームに横たわる被害者と救助する人(写真:Kaku Kurita/アフロ)

 年度末、欧州出張の予定を組んでいましたが、EUの域内封鎖によって渡航そのものが不可能となり、3月20日を日本で迎えることになりました。

 また私の同級生が絞首刑で命を失ってから、1年半ほどが過ぎ去っています。

 いまから25年前、1995年3月20日に何が起きたか、リアルな記憶を持っている人は、ほとんどすべてが、すでに30歳を超えている。

 ということは、10代、20代のほぼ全員は、1995年3月20日、いったい何が起きたか、よく分からない。全く知らないという学生も決して珍しくなくなりました。

 今回の読者は、そういう若い人を念頭に、伝えておきたいと思うことを記しています。

 東京大学で私のクラスやレッスンを履修する人は、いまでも半期に一度だけ、この話をダイレクトに聴きます。

 そうでない、若い世代の人たちのために、本稿を記します。

1995年3月20日を繰り返さないために

 現在キャンパスで学ぶ学部学生は19~22歳程度、つまり1998~2001年頃に生まれた人たちが、大学の教室を埋め尽くしている。

 教室に居並ぶ学生たちの、誰一人として、あの日のことも、「カナリヤ」も「上九一色村」も何も知らない。

 そして、当時の学生たちが騙されたような似非宗教の霊感商法詐欺に、いまの子供たちは、当時の学生以上に簡単に引っかかってしまうだろうことが、容易に予想されるのです。

 私自身は一切見ないのですが、世の中では本学在学生を面白おかしくタレント扱いする、極めて低俗なテレビ番組などが視聴率を取っているとも漏れ聞きます。

 かつてテレビ番組で生活の一端を支えた一個人として率直に思いますが、テレビという業界は浅ましい商習慣がたくさんあり、学生たちの将来をスポイルしかねない。最悪と思います。