そして「終油の秘跡を受けなければ死ぬに死ねない」というメンタリティ、国民感情は、イタリアやスペイン、フランスなども含め、カトリック諸国諸地域には21世紀の現在も、濃厚に残っており、当然ながら伝統的な儀式の形態が遵守されます。

 想像してみてください。

 チャペルでの結婚式、新郎も新婦もマスクで顔を覆い、司祭さんも厳重に予防検疫で顔を隠して「あなたはこの男を生涯愛すると誓いますか?」と尋ねると、新婦がマスク越しに「誓います」などというやり取りがありうるか?

 一生に一度のことです。こんなことはイタリアでも日本でもしないわけですし、それは「終油」も同じこと、これだって「一生に一度」であることは間違いありません。

参考まで

 カトリックは、神の祝福のもとに行われる性行為に対して、コンドームや避妊具の使用を教義のうえでは認めていません。

 性病の蔓延以前に、ラテンアメリカ諸国などで人口爆発と永続的貧困が改善しない背景に、産児制限が利かないカトリックのメンタリティが指摘されて久しいのは、知る人は知るところと思います。

 コンドームとマスクの対照は、いくつかのコラムにすでに私は記し、日本国内の読者から微妙なリアクションもいただきましたが、厳然たる事実として認識する必要があると思います。

 教皇フランチェスコには、このような状況を直視され、適切な教令の発布など、検討されるべきではないかと思います。

 今回、日本のカトリックに働きかけてそのようなバチカンへの上申をまだ行ってはおりませんが、場合によると前田万葉枢機卿など日本人のバチカンスタッフが貢献すべきポイントかもしれません。

 キリスト教には「死者がそのまま蘇る」という。聖書に記された最後の審判に基づく、死体の取り扱いに関する風土や文化、一般日本人社会の想像を絶したメンタリティが、かなり脈々と息づいていますので、それらに関しては、稿を改めて記したいと思います。

 東京オリンピックは少なく見積もってもまる1年は延期の方向に進みつつあるようです。早期の収束を願ってやみません。

(つづく)