川中島古戦場にある上杉謙信像と武田信玄像

(乃至 政彦:歴史家)

「義の武将」あるいは「軍神」といわれ、抜群の人気を誇る戦国武将・上杉謙信。徒歩以外に交通手段のなかった時代、越後から関東へ何度も「越山」を繰り返した真の目的とは? 謙信に詳しい著者が一次史料と最新研究により、謙信の実像と関東の戦国史に迫る。(JBpress)

三国峠を「十数回」越えた謙信

 三国峠は、越後国(えちごのくに)・上野国(こうずけのくに)・信濃国(しなののくに)のいわゆる「上信越」三ヶ国が交わる峠であることからその名がつけられている。

 越後国から上野国へ向かい、標高1600メートルほどの頂点に登るとこの上ない絶景が広がっている。背後を振り返れば、雲の合間に連山が黒々とそびえ立ち、前方には青々とした大地と水利が、目を潤わせる。対象的な両国の姿はまるで別天地である。

 そこから赤城山の麓を過ぎて沼田の地を横切れば、いよいよ関東平野が待っている。

戦国関東地図 作成/アトリエ・プラン
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 三国峠には「御坂三社神社」(三国権現)があり、その境内に「三国峠を越えた人々」と題する石碑があり、「白雲禅師[鎌倉時代]」「堯恵法印[文明十八年]」「万里集九[長享二年]」「良寛禅師[文化]」「与謝野鉄幹[昭和六年]/与謝野晶子[同]」などと60人以上の人名が刻まれていて、どの人物も三国峠を渡った時期が記されている。

 だが、越後国春日山(新潟県上越市)城主の上杉謙信だけは違っている。「十数回」と、渡った時期ではなく回数が記されているのだ。徒歩以外に交通手段のない時代にこの往来回数は異様であろう。謙信は何を想って「十数回」も越山したのだろうか。

 この連載コラムでは謙信の関東越山を追っていく。