「平安京模型」京都市平安京創生館展示、京都市歴史資料館蔵

(歴史学者・倉本一宏)

平安京に生きた貴族たちの実像とは

 中国の正史は紀伝体という形式をとっており、本紀・世家・列伝・志・表など、様々な種類の項目によって構成されている。

 それに対し、日本の正史である六国史(りっこくし)は、本紀だけを独立させたもので、『日本書紀』は本来は『日本紀』と呼ばれていた。これは『日本書紀』が我が国としては初めての国史の編纂であって、まだ編纂能力が未熟であったという理由以外に、その編纂を主導した藤原不比等の存命中に間に合わせようとして、養老四年(七二〇)五月に急遽完成させたという事情も存在したのである(不比等は八月に死去している)。

 特に本紀と並んで正史の中心となる列伝がないということは、早くから問題となっていたようで、二番目の正史である『続日本紀』以降には、しばしば薨卒伝(こうそつでん)と呼ばれる個人の伝記が載せられている。

 もっとも、六国史は基本的には五位以上の貴族にしか死亡記事が載せられないので、中国正史の列伝のような広範な身分の人々の伝記を知ることはできない。また、薨卒伝は、ほとんどは簡単な故人の来歴などを記すだけのことが多いのも、残念な点である。

 しかしながら、時には故人に対する非常に辛辣な評価が記されている場合もあり、読んでみると、これがなかなか面白いものである。

 この連載では、藤原氏などの有名貴族からあまり知られていない人物まで、興味深い人物に関する薨卒伝を取り上げ、平安京に生きた面白い人々の実像に迫る。

「平安貴族列伝」と号した以上、桓武天皇の延暦十三年(七九四)の平安京遷都以降についてご紹介していきたい。一回について、原則として一人、ご紹介することとする。