加藤素毛がアメリカから持ち帰った星条旗(加藤素毛記念館収蔵)

(柳原三佳・ノンフィクション作家)

 裂(さく)る程 車のおとも 暑さ哉(かな)

 これは、幕末の1860年、「万延元年遣米使節団」に随行した加藤素毛(かとうそもう)という人物が、パナマ地峡を横断する蒸気機関車の中で作った俳句です。

 アメリカへ向かう途中、日本人として初めて乗車した蒸気機関車。

 耳をつんざくような汽笛と鉄道の軋み、そして激しく吐き出される蒸気の轟音は、赤道に近い南米の地の猛烈な暑さに拍車をかける・・・、この句には、そんな思いが込められているのでしょう。

帰国の船上では素毛を囲んで句会が

「開成をつくった男」佐野鼎(さのかなえ)が綴っていた同じ日の日記については、本連載16回目『幕末の武士が灼熱のパナマで知った氷入り葡萄酒の味』(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57399)でも書いたとおりですが、使節たちが残した日記を横断的に見ていくと、それぞれの視点や感性の違いが発見でき、大変興味深いものがあります。

 それにしても、音と暑さを結び付けて表現するなんて、さすがは素毛です。身分の高い使節たちから、文芸の分野では一目置かれていただけのことはあるようです。

 実際に、アメリカから帰国する船の中では、素毛を囲んで句会も催されていたようです。

加藤素毛の肖像写真。文人らしく、右手には筆が握られている(加藤素毛記念館収蔵)