磁場フリー電子顕微鏡
光学顕微鏡は、ガラスなどのレンズで可視光を屈折させて、焦点面に拡大画像を映し出します。けれども電子はガラスのレンズを透過しません。電子を屈折させて焦点面にあてるには、電場や磁場の「レンズ」を用います。
シャープな像を得るためには、高速の電子の方が都合がよいので、電子顕微鏡は(ものによりますが)30万V(ボルト)もの高電圧で電子を加速します。30万Vで加速された電子は光速の78%という猛烈な速度で試料にぶち当たり、通り抜け、磁場のレンズで屈折して焦点面検出器に飛び込みます。
光速に匹敵する速度の電子を屈折させるには強力な磁場が必要になります。試料は2〜3 T(テスラ)もの磁束密度にさらされます。2〜3 Tの磁束密度というと、ネオジム磁石の表面と同程度かそれより強いくらいです。鉄片は吸い寄せられて宙を飛び、扱いを誤って指を挟むと流血するレベルです。
磁場に鈍感な試料ならばこれでも問題はないですが、磁性体の試料だと大変です。割れたり壊れたり、試料そのものの性質が変わってしまったりします。磁性体を観察するためには、試料を強磁場にさらさない電子顕微鏡が必要です。
先月22日、東京大学附属総合研究機構の柴田直哉機構長と日本電子の河野祐二副主査らの研究グループが、試料に磁場をかけない「磁場フリー電子顕微鏡」を開発したと発表しました。磁場レンズの構造を工夫することにより、試料にかかる磁束密度を従来の1万分の1に抑えることに成功したのです。この値は地球の地磁気の数倍程度です。
これで、長年の課題だった磁性体の電子顕微鏡写真を撮れるようになりました。軟磁性体のケイ素鋼の原子構造を御覧ください。
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それにしても、20世紀には、原子の実在は証明されていないと言って原子を認めない頑固な科学者も生き残っていたのに、いつの間にか原子や分子の写真をあたりまえに撮影できる時代が来ていました。次は何が見えるようになるのでしょうか。次の常識が覆される日を期待して待ちましょう。
*追記(2019/06/23):文中の「走査型トンネル電子顕微鏡」を「走査トンネル顕微鏡」に修正しました。御指摘くださった読者の方にお礼申し上げます。