私たちは「食」の行為を当然のようにしている。では、私たちの身体にとって「食」とは何を意味するのだろうか。本連載では、各回で「オリンポス12神」を登場させながら、食と身体の関わり合いを深く考え、探っていく。
(1)主神ジュピター篇「なぜ食べるのか? 生命の根源に迫る深淵なる疑問」
(2)知恵の神ミネルヴァ・伝令の神マーキュリー篇「食欲とは何か? 脳との情報伝達が織りなす情動」
(3)美と愛の神ヴィーナス篇「匂いと味の経験に上書きされていく『おいしい』記憶」
(4)炉の神ヴェスタ篇「想像以上の働き者、胃の正しいメンテナンス方法」
(5)婚姻の神ジュノー篇「消化のプレイングマネジャー、膵臓・肝臓・十二指腸」
(6)狩猟の神ディアナ篇「タンパク質も脂肪も一網打尽、小腸の巧みな栄養吸収」
(7)戦闘の神マーズ篇「腹の中の“風林火山”、絶えず流れ込む異物への免疫」
(8)農耕の神セレス篇「体の中の“庭師”、腸内細菌の多様性を維持する方法」
(9)鍛冶の神ヴァルカン篇「ご注文は? 肝臓は臨機応変な“エンジニア”」
(10)酒の神バッカス篇「利と害の狂騒、薬と毒の見極めに“肝腎”な臓器」
(11)海の神ネプチューン篇「身体の内なる“海”、水と塩分を制御する腎臓」
「風が吹けば桶屋が儲かる」
これは「風が吹く → 砂ぼこりが舞う → 失明者が増える → 三味線を始める人が増える → 三味線を作るため猫の皮が必要になる → 猫が狩られる → ネズミが増える → 桶がかじられる → 桶の需要が増える」という、強引な因果関係の滑稽さを表した江戸時代の諺である。
「風 → 砂ぼこり」はよいとして、それ以降は極めて不確定要因が大きい。特に「砂ぼこりが目に入って失明する」という流れは、衛生状態の悪い江戸時代であったとしても、必ずしも起こるわけではなかったであろう。よほど極端な事例でない限り、身体の変化を予測することは案外と難しいのである。
ところが、食と身体に関して、私たちはつい「何々を食べると健康(病気)になる」というようなフレーズに安易に飛びつきがちで、ある食品と身体変化との間に明確な因果関係があるはずだと思ってしまうのである。しかも、そういった言説の根拠がネズミを使った研究成果となると、ますます怪しくなっていく。
言うまでもなく、ヒトはネズミではない。もちろんヒトとネズミには共通点があるからモデル動物として研究に使われるわけだが、たとえば「何々を食べさせたマウスの平均寿命が延びた」という結果が得られたとしても、それをヒトにそのまま適用することは難しい。
なぜなら、ヒトはネズミと同じ環境・餌で飼育されているわけではないし、ネズミの平均寿命は数年しかない。単純にヒトと比較することはできないのである。ネズミでの研究成果が派手に報道されても、それはまだ基礎研究の段階と解釈すべきであろう。