匂いと味の経験に上書きされていく「おいしい」記憶

考究:食と身体(3)美と愛の神ヴィーナス篇

2018.06.29(Fri) 大平 万里
筆者プロフィール&コラム概要
食べ物の匂いに誘われて食欲が増すことがある。その仕組みはどうなっているのか。アイコンは美と愛の神ヴィーナス。

 私たちは「食」の行為を当然のようにしている。では、私たちの身体にとって「食」とは何を意味するのだろうか。本連載では、各回で「オリンポス12神」を登場させながら、食と身体の関わり合いを深く考え、探っていく。

(1)主神ジュピター篇「なぜ食べるのか? 生命の根源に迫る深淵なる疑問」
(2)知恵の神ミネルヴァ・伝令の神マーキュリー篇「食欲とは何か? 脳との情報伝達が織りなす情動」

「梅干を眺め、鰻を焼く香りで飯をかきこみ、銭を落とす音で嗅ぎ代を鰻屋に支払う」

 ご存じ、古典落語「始末の極意(しわい屋)」の有名なネタである。このネタには視覚、嗅覚、味覚、聴覚の4つの感覚が登場するが、やはり食欲に直結するのは嗅覚と味覚であろう。

「梅干を見ることで唾液が分泌されて食欲が促されるのでは」と視覚の重要性を思った人もいるかもしれないが、梅干を見て唾液が出るのは梅干の味の記憶によるところが大きい。まったく未知の食材を見て「旨そうだ」と思うことはまずないだろう。聴覚に至っては、「ウナジュウ」とラジオから聞こえたとしても、脳内に具体的なイメージが浮かばないかぎり、それは単なる音声記号であって、そこから食欲を喚起させるのは難しい。

 なぜ、嗅覚・味覚が食欲に直結するのか。おそらく、どちらも物質をじかに感知する感覚だからであろう。視覚や聴覚においては、光や音の情報をいったん脳内で解釈した上で認識する。よって、光や音が感覚器に届いても解釈されないかぎり「見えてない」「聞こえてない」ということが起こりうる。一方、嗅覚や味覚は、物質が感覚器に接触すれば、解釈される間もなく味や匂いとして認識される。つまり、嗅ぎ忘れや味わい忘れということはまず起こらない。

 では、物質を認識するとはいったいどういうことだろうか。

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1964年東京生まれ。生物・化学系ライター。熊本大学理学部生物学科卒業。北海道大学理学研究科博士課程修了。博士(理学)。旧工業技術院(現・産総研)、秋田県立農業短大附属属研究所などの流動研究員、高校教諭等を経て現在に至る。最近はその辺に転がる岩石の来歴が気になってしょうがない。


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