私たちは「食」の行為を当然のようにしている。では、私たちの身体にとって「食」とは何を意味するのだろうか。本連載では、各回で「オリンポス12神」を登場させながら、食と身体の関わり合いを深く考え、探っていく。
(1)主神ジュピター篇「なぜ食べるのか? 生命の根源に迫る深淵なる疑問」
(2)知恵の神ミネルヴァ・伝令の神マーキュリー篇「食欲とは何か? 脳との情報伝達が織りなす情動」
「梅干を眺め、鰻を焼く香りで飯をかきこみ、銭を落とす音で嗅ぎ代を鰻屋に支払う」
ご存じ、古典落語「始末の極意(しわい屋)」の有名なネタである。このネタには視覚、嗅覚、味覚、聴覚の4つの感覚が登場するが、やはり食欲に直結するのは嗅覚と味覚であろう。
「梅干を見ることで唾液が分泌されて食欲が促されるのでは」と視覚の重要性を思った人もいるかもしれないが、梅干を見て唾液が出るのは梅干の味の記憶によるところが大きい。まったく未知の食材を見て「旨そうだ」と思うことはまずないだろう。聴覚に至っては、「ウナジュウ」とラジオから聞こえたとしても、脳内に具体的なイメージが浮かばないかぎり、それは単なる音声記号であって、そこから食欲を喚起させるのは難しい。
なぜ、嗅覚・味覚が食欲に直結するのか。おそらく、どちらも物質をじかに感知する感覚だからであろう。視覚や聴覚においては、光や音の情報をいったん脳内で解釈した上で認識する。よって、光や音が感覚器に届いても解釈されないかぎり「見えてない」「聞こえてない」ということが起こりうる。一方、嗅覚や味覚は、物質が感覚器に接触すれば、解釈される間もなく味や匂いとして認識される。つまり、嗅ぎ忘れや味わい忘れということはまず起こらない。
では、物質を認識するとはいったいどういうことだろうか。