匂いと味の経験に上書きされていく「おいしい」記憶

考究:食と身体(3)美と愛の神ヴィーナス篇

2018.06.29(Fri) 大平 万里
筆者プロフィール&コラム概要

匂い・味の物質と受容体が惹き合い、匂い・味を感じる

 ここで美と愛の女神「ヴィーナス」に登場してもらおう。美と愛の女神といっても、神話上は「美と愛をもたらす」というよりは、自らの魅力で多くの神々を惹きつける「誘惑の女神」と呼ぶべき存在だ。そして、ヴィーナスが身にまとう「ケストス」と呼ばれる帯は、神々を虜にする強力な誘引力があるとされている。

 このケストスの帯にあたるものが、嗅覚や味覚が認識する匂い物質や味物質である。そして、それらの物質を認識する本体が、感覚器の細胞表面に存在するさまざまな受容体だ。受容体は、この世界に存在するあまたの物質の中から、特定の物質(ケストスの帯)を認識する機能を持っている。認識できるということは、ある特定の物質とその受容体とに物質的な親和性(惹き合う力)があるということである。

「何を食べるべきか」探索する機能を担う嗅覚

 嗅覚と味覚は、物質を通して外部情報をキャッチする原始的な感覚という意味で本質的な違いはないのだが、味覚に比べて嗅覚のほうが識別できる物質の種類と感度が桁違いに大きい。

 嗅覚は極めて低濃度(0.000000001mg/L~0.0001mg/L)の匂い物質を認識することができ、個人差はあるものの、数千から数万種類の匂い物質を区別できるといわれている。

 また、嗅覚は(鼻腔の天井にある)嗅細胞のすぐ上にある嗅球(きゅうきゅう)という大脳の一部につながっており、他の感覚と違い、匂い物質の情報は嗅球の糸球体(しきゅうたい)と呼ばれる構造を通して、さまざまな中枢へダイレクトに伝わることになる。食に関する匂い物質でも、その直接的な情報伝達経路によって「理屈抜き」に食への行動を促すわけだ。すなわち、嗅覚は匂い物質を嗅上皮でキャッチすることで「何を食べるべきか」の一次情報を探索する機能を担っているといえよう。

嗅細胞や嗅球など、嗅覚器官の各部位の位置。なお、嗅覚の受容体は嗅上皮の表面にある。
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1964年東京生まれ。生物・化学系ライター。熊本大学理学部生物学科卒業。北海道大学理学研究科博士課程修了。博士(理学)。旧工業技術院(現・産総研)、秋田県立農業短大附属属研究所などの流動研究員、高校教諭等を経て現在に至る。最近はその辺に転がる岩石の来歴が気になってしょうがない。


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