本土防空にもニッケル不足の影

 ニッケル不足は戦争に大きな影を落とした。例えば、日本軍は米軍の爆撃機「B-29」に対抗できず、日本は焼け野原になった。その要因の1つが、日本軍の戦闘機が高空で性能を発揮できなかったからである。

 以前、日本には与圧システムなどといった贅沢は許されなかったので、日本のパイロットはB-29だけでなく酸欠と酷寒とも戦わなければならなかったことを紹介したが、高空では戦闘機のエンジンも酸欠と戦っていた。

 豊かで技術力も日本よりも高かった米国は、B-29にターボチャージャーを装備し、空気をエンジンに送り込む仕組みを備えることができた。B-29のエンジンは酸欠に苦しむことはなかった。

 一方、日本はターボチャージャーが開発できず、酸欠エンジンでB-29と戦うことになった。もちろん高度1万メートルで飛んでこられると勝負にならず、B-29は日本上空でやりたい放題である。

 ターボチャージャーが開発できなかった要因の1つとして、ニッケル不足が挙げられている。高温のエンジンの排気を受けるタービンは、自動車用のものでもニッケル基の耐熱合金で作られている。代用金属で製造するのは厳しかった。

米軍機のターボチャージャー ターボチャージャーのエンジン排気を受ける部分は高温にさらされるので、ニッケルを用いた耐熱合金が必要である。写真のターボチャージャーも焼けたような雰囲気で、いかにも高温に耐えてきたという感じである。

 ターボチャージャーの事例のほかにも、ニッケル不足が大日本帝国のあちこちで問題を起こしていたはずである。

 日本軍の兵器はニッケルがケチられているのである。機械としての耐久性に難があり、すぐ故障するとか、装甲に靭性がなく敵の弾が当たった時に割れてしまったとか、兵器として情けないことが頻発していたことは想像に難くない。

 ニッケルをケチるための代用材開発や、代用金属で何とか兵器を成り立たせるための開発は、ニッケルさえ豊富にあればやらなくて済んだ。ただでさえ忙しい戦争中に、さらなる余計な仕事を発生させていた。

 さらにできた兵器の性能の足を引っ張った。兵器開発現場には負担になっていたはずである。

 もちろんニッケルにより戦争に負けたとまで言っては言いすぎである。石油もなかったし、その他資源もなかった。戦略性も欠けていた。政治も失敗した。敗戦の原因はほかにもたくさんある。

 しかし、日本にニッケル資源がなかったことは、しっかりと戦争の足を引っ張っていたのは確かであり、数多ある敗戦要因の1つに数えられるべきである。

B-29の窓越しに見た富士山 ニッケル不足は、ここまで敵に攻め込まれる原因の1つとなった。(出所:米陸軍省製作記録映画The Last Bomb)