今村氏の論文を読んだ大森氏は、相模湾を震源とする地震が発生することや震災対策の必要性には理解を示していたが、社会に混乱を起こすことを恐れ、今村氏の論文を「根拠のない説」として退けた。

 1923年、汎太平洋学術会議に出席していた大森氏は、出張先の豪州で地震計の針の動きから関東大震災の発生を知った。帰国すると自らの過ちを認めて国民に謝罪し、震災予防調査会の幹事などを今村助教授に譲ったという。

直下型地震への抜本的対策を

 国内の学界では地震学者と認知されていない角田氏だが、海外での評価は高まる一方である。海外の学術誌(「New Concepts in Global Tectonics」電子版)に「熱移送説に基づく熊本地震とその解釈」というタイトルの論文を掲載したところ、通常の3倍以上のアクセス(約30万)があり、サイトはあまりのアクセスのために一時「遮断」の措置をとったという。

 地震のメカニズムついてはさまざまな理論や研究があるが、いまだに正確な予測ができていないのが現状だ。だが、どれだけ用心してもしすぎることはない。国を挙げて一刻も早く直下型地震に関する抜本的対策を講ずるべきである。             

 角田氏はマントルトモグラフィーという最先端の技術を用いて地球内部の温度分布を測定したデータを基に、熱移送説の理論を築き上げた。日本の地震関係者は関東大震災後の大森氏にならい、熱移送説を謙虚に研究することが喫緊の課題であろう。

(参考文献)『関東大震災を予知した二人の男 ─大森房吉と今村明恒』(上山明博著、産経新聞出版)