何でもかんでも代理店が悪いと言うつもりはない。逆で、代理店業務というのはかくも責任重大なものであって、その責に耐えるだけのきちんとした仕事をしなければならない。

 愚にもつかない素人デザインまがいにおかしな権威を刷り込んで利権化するようなことがあってはならない。

 オリンピックのプランナーというのは本来、五輪が、あるいは東京がどのような歴史的、社会的使命を果たすべきかを熟慮し、時には果敢な判断も下して新しい道を切り開くべき大切な使命を帯びている。

 それは「きれいごと」というのではなく、フェアで目的にかなった価値判断をもって進められねばなりません。

何のためのオリンピックか?

 世の中の大半の人は、例えば日本人の99%以上がそうだと思いますが、オリンピックというのはスポーツ大会だと思っているでしょう。

 でも近代オリンピックが始められた当初も、またその原型となった古代オリンピック競技会も、運動だけではなく「スポーツと芸術の祭典」として、この大会は組織されました。

 ほかならぬ近代オリンピックの創設者。ピエール・ド・クーベルタン男爵自身が第5回ストックホルム大会(1912)「芸術競技文学部門」で金メダルを取った(らしい)という逸話なども伝えられます。

 また古代ギリシャのオリンピックでは詩の競演が盛んに行われました。詩と言っても定型詩で伴奏がついており、実質は音楽と詩の芸術競技と言っていいでしょう。

 さらに、ローマの暴君ネロは自分が優勝するためにオリンピックに「音楽競技」を追加したと伝えられますが、栄冠を手にしたはずの彼の「競技内容」はひどいものだったという話も知られています。

 こういう話は、現在のスポーツショービジネス・オンリーとなってしまった五輪像と、いろいろな意味でかけ離れたものになってしまいました。