近代オリンピックはそもそも、営利と無関係なアマチュアリズムを基本とし、古代の平和祭典の復興を企図して1896年、アテネ大会を初回に打ち立てられたものです。
19世紀末の国際社会は帝国主義列強間の緊張が増し、日本は日清戦争直後で賠償金を元に八幡製鉄所や京都大学が作られようとしていた時期、この後、韓国併合や辛亥革命、第1次世界大戦、そしてロシア革命と、世界史が大きく動き出すなか、戦争ではなくスポーツと芸術を通じて国際社会が平和に共存、繁栄するよう、強い理想像をもって打ち立てられたものにほかなりませんでした。
一番典型的なのは「5つの輪」のシンボルでしょう。白地に青・黄・黒・緑・赤の5つの輪がつながった、誰もが知るこのマークは、アジア・アフリカ・ヨーロッパ、南北アメリカとオセアニアという世界の大陸を表し、それらが協調し合う「輪」としてデザインされたとされます。
でも、どの色がどの大陸に対応する、なんてことは言わない。すべてがすべてに対して、お互いを思いやる輪を作るという意匠であるのは有名です。
あの拙劣なエンブレム騒動のとき、いったいどういうデザインをめぐる言葉があったでしょう?
それは五輪が世界を結ぶ歴史的、社会的な使命を帯びていることと、どのような関わりがあっただろうか?
そんなもの、何もありませんでした。非常に空疎に形骸化した商業主義、営利だけが拡大した「しのぎのためのオリンピック」、こういう肥大化したオリンピックを作った元凶として、しばしばファン・アントニオ・サマランチ元IOC会長(1920-2010)の名が挙げられます。
事実、上に記した様々の腐敗はサマランチIOC会長体制(1980-2001)時代に端を発しています。
またサマランチ氏自身、IOCでの役職と並行して在ソ連、在モンゴルのスペイン大使を歴任、IOC会長と並行して銀行の頭取も務める実業家、外交人材でもあった・・・。
先ほどの「ディアク氏」のキャリアとぴったりと重なり合ってしまうのは偶然で済む話ではないでしょう。