「スポーツと芸術の平和祭典」として万国博覧会に敷設されたアマチュア競技会というルーツを持つ近代オリンピックは、1896年第1回のアテネ大会から120年、様々な変転を繰り返してきました。
いまフランス、英国を中心に2013年ブエノスアイレスでのIOC総会で東京が2020年の開催地に選ばれた背景にアフリカ票取りまとめの贈収賄が濃厚に疑われ、電通を筆頭とする周辺企業の関わりも国際的には幅広に報道されるようになっています。
そこで「オリンピックとは何であったのか?」「それがどうしてこんなになってしまったのか?」「それは今後、どのようであるべきなのか?」といった基本的なポイントを整理してみたいと思います。
スポーツと芸術の平和祭典
前回も記しましたが、古代ギリシャでのオリンピア競技会はオリュンポスの神々を祀る宗教祭典で、最古の記録は紀元前776年(以前)というのですから、日本では縄文人しかいなかった時代に端を発し、正確に4年に1度ずつ開催されてきたというのですから、その暦の学問技術水準の高さたるや、大変なものだったと言わざるを得ないでしょう。
オリュンピア競技祭が開かれる1か月の間は、全ギリシャ世界に使いが回り、その間は戦争があっても休戦するという伝統があったと言います。
また闘士競技パンクラティオンではルールが遵守され、特に相手の殺害は厳禁され、殺してしまった場合には月桂冠などの表彰は決して与えられなかった、逆に相手を降参させた直後に絶命したものには、死者に栄光の冠が与えられるといった、壮絶な側面も持っていたことが伝えられます。
日本で考えれば「お相撲」の起源と似ているでしょう。相撲の土俵の上には屋根のようなものが吊り下げられています。昔は柱が立っていましたが、テレビ中継が一般化してから房に取り替えられました。
あれは土俵が神殿の一種、つまり奉納相撲が神様に捧げられるもので、その勝敗は占いの一種と言えるほどに神意に託されたものと考えられていた。公正なものであった1つの証左と思います(お相撲の細かな伝統について通じているわけではありませんので、瑕疵があればご教示頂ければ幸いです)。
古代の神前でもお相撲のほか、神楽舞などのダンス、歌舞音曲の奉納があり、あるいはその技を競うような局面が古代の日本にもあったと思います。歌会なども同様の側面があるでしょう。
古代ギリシャのオリュンピア祭典も同様で、神の前に公正、フェアな勝負としてのスポーツ、そして神を称える讃歌などの芸術の技が披露され、競われ、全ギリシャがその期間中は戦役を離れてともにオリュンポスの神々の前で賛美を共にする、そういう儀礼競技として様々な種目や芸術の「平和祭典」が祝われてきたわけです。