古代オリンピックはローマ皇帝テオドシウスとミラノ司教アンブロジウスがキリスト教をローマ帝国の唯一国教とし(AD392年)、異教である古代ギリシャ教儀であるとして禁止された翌年の393年が最後とされています。

 最初が紀元前776年、最後が紀元後392年、その間実に1167年間(紀元0年というものは存在しないので)、両端を考慮して4で割れば292回という気の遠くなるような期間、古代のギリシャ・ローマ世界全体に「つかの間の平和」をもたらす<宗教祝祭>として永続してきたのが、古代オリンピックにほかなりません。

 で、このような古代オリンピックと同様、グローバル化が進展しつつあった19世紀末の地球で、再び「つかのまの平和祭典」によって帝国主義列強間の戦乱や紛争を防ぎ、5つの大陸(から「五輪」のシンボルマークが定められたのは第1次世界大戦以後のことで、まさに確信をもって世界)の<平和>のために、万国博覧会と並行して(というより当初はそのおまけのような形で)再開されたのが「近代オリンピック」の本来の動機だったわけです。

 それが今のような腐敗に進んだのには、構造的な背景があり、それを理解しなければ現在の商業主義専横の状況の改善は難しいでしょう。

世界大戦と国威発揚

 当初の近代オリンピックは万博の添え物のような存在だったと言われます。初回のアテネ(1896)以降1900年パリ、1904年セントルイス、イレギュラーな1906年アテネ、1908年ロンドン、1912年ストックホルムと進んだ近代オリンピックは1916年第6回ベルリン大会が第1次世界大戦のため中止され、1つの転機を迎えます。

 戦後の1920年ベルギーのアントワープで再開された近代オリンピックは、赤十字や国際連盟などと並んで世界大戦後の秩序作りを念頭に再度生まれ変わり、1924年パリと並行してフランス・シャモニーで「冬季オリンピック」が創始され、1928年夏季アムステルダム(オランダ)冬季サンモリッツ(スイス)1932年夏季ロサンゼルス+冬季レークプラシッド(共に米)と進む間に「黄金の1920年代」は世界恐慌を経て混乱と戦争の時代に突入していきます。

 ここで<善くも悪しくも>画期的な役割を演じたのが1933年に政権を奪取したナチス・ドイツによる1936年のオリンピック、夏季第11回のベルリン大会と冬季第4回のガルミッシュ・パルテンキルヒェン大会だったわけです。

 天才的手腕を持つナチスの宣伝相パウル・ヨーゼフ・ゲッペルス(Paul Joseph Goebbels)らが指導し、スポーツ選手はもとより、およそあらゆる分野のクリエーターが総動員されて作り出された「ベルリン・オリンピック」は、それまでの「万博の添え物から独立したスポーツ大会」というイメージを完全に一新し、膨大な官費を投入、まさに国威発揚の最大ステージとして、凄まじい成功を見せることになります。

 前回も記した通り、それ以降のあらゆるオリンピックは内容的にはベルリン大会の二番煎じの模倣以外のなにものでもありません。誰もが当たり前と思っているオリンピックの聖火リレーも、ヒトラーやゲッペルスなどナチス指導陣が案出した意匠というのはご存知でしょうか?

 アテネで聖なる火がともされ、それが東ヨーロッパ各国を順次リレーされて、最終的に「第三の千年帝国」ドイツの首都ベルリンのスタジアムにもたらされると、小さなトーチの炎がバッと広がって巨大な灯火となり、天を焦がすという凄まじく印象的な演出は、そのものずばりナチスの産物を現在まで踏襲しているのにほかなりません。

 大したアイデアはなく規模だけ水増しして内実は下手くそな縮小再生産しかないので、ソウルのように無計画に飛ばした「平和の象徴」である鳩を聖火で焼き殺してしまったり、二番煎じばかりでろくなことができません。