ミュンヘン・テロ以降今日に至る五輪の変遷は次稿に譲るとして、今回の末尾では今の東京でオリンピックを開いて、いったいどういうメリットがあるか、読者の皆さんにも考えていただきたいと思うのです。

 「非国民」扱いされるかもしれませんが、2013年時点で私は「イスタンブール」での五輪開催を支持していました。

 善くも悪しくも五輪利権と縁の薄い音楽家・一個人として「初のイスラム圏での五輪開催」には「つかの間の平和」をもたらすうえで、1990年代以降の国際紛争情勢を見るに、明らかにメリットがあると思います。

 無論テロの警護などは大変でしょう。しかしトルコであれば(1964年の日本ほどではないにしろ)五輪開催に伴うインフラストラクチャー整備のメリットもあるのではないか、と思われます。

 同様のことは2016年のリオ・デ・ジャネイロ大会については、より強くそう思いました。「初の南米大陸での開催」また「新興国での開催」は、やはり様々な困難があるにせよ、歴史的な価値や役割は明らかにあると思います。

 ただ、現実のリオでの状況は、聞き及ぶ限り予想以上に難問続出、そんなに簡単なものではなかったのも事実でしょう。

 すでに時間切れになっていることから、2020年には何にせよ東京で五輪は開かれる公算が高い。しかしその内実は恐るべき程度に無内容で空疎です。

 単にアスリートが競技の技を競うというのであれば、各々の選手権があるわけで、五輪は明らかにそれらの集合体を超えた価値、端的には人類の平和共存とローカル&グローバル社会の繁栄、文明文化の発展推進など、はるかに高い理想をもって創始され、また1964年の東京ではその役割を果たしました。

 皆さん、お気づきでしょうか?

 1972年にパレスチナ・テロがあって以降、この44年間ドイツではオリンピックは夏冬ともに開かれていません。