歴史とはつまり勝者の歴史である。敗者の立場で書かれた歴史はほとんどの場合、書き残すことが認められてこなかった。また、歴史はたいていの場合、男の歴史でもあった。
弱者、敗者が語る歴史には要注意
もう38年も前のことだから記憶は定かではないが、大学入試に失敗して駿台予備校に通っていたとき、上智大学の講師による「女が作った歴史」という授業を受けて、とにかく感銘を受けたのを覚えている。
受験用の覚える歴史とは全く違って生々しいだけでなく、見る位置を変えると歴史はこんなに違って見えてくるものだと、目から鱗が落ちる思いだった。
大学、大学院と理系に進んだが、父親や大学の指導教授などの大反対を押し切って出版社に入社したのは、あの歴史の講義が相当影響していたのではないか、と思うときがある。
さて、竹島や尖閣諸島の問題がこのところ喧しい。なぜいまなのか。
日本と韓国、中国のパワーバランスが崩れてきたためだろう。韓国の李明博大統領の日本を見下した発言がまさにそれを象徴している。
強い者が書いた歴史は確かに正しいとは限らない。しかし、弱い者が語る歴史も事実と反している場合がある。
いやむしろ、事実が捻じ曲げられている度合いはその方が高いと言える。加えて陰険で執拗な場合が多い。
迫害を受けた側はヒステリックになりがちなのはやむを得ない。そして、条件が整い公にしても構わないとなれば、事実以上の迫害を受けたように喧伝したがるものだ。
実は最近、日本人が主人公のそんな例を示唆されて非常に深く考えさせられたことがあった。場所は米国のワシントン州シアトルである。