「日本ごときが何だ!」と李明博大統領が竹島上陸で咆哮した。その数日後には、かねて訪韓を招請していた天皇陛下に謝罪要求を突き付けた。

 何という卑劣!

 これに先立つ日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)は調印1時間前にキャンセル。並行して締結協議を進めていた物品役務相互提供協定(ACSA)も中断し、中国とACSAの締結を推進していることが確認された。

 「開けて悔しき玉手箱!」であるが、日米韓の安保連携に影響すること甚だしい。

連帯も恩義も感じない韓国

「竹島領有」掲げた朴鍾佑、兵役免除へ

ロンドン・オリンピックのサッカー3位での表彰〔AFPBB News

 ロンドン・オリンピックのサッカー3位決定戦で勝利した韓国の選手1人が、「独島(竹島の韓国呼称)は韓国領土」と書いたプラカードを高々と掲げて観客にアピールした。

 試合終了後とはいえ、会場の観客だけでなく世界の人々が注視する中で取られた行動は、オリンピック精神に反することに変わりはない。違反者にはメダル授与が保留されたが、他の選手たちは平然と表彰台に立ち、メダルを受け取った。

 「チームメイトのお陰」と口々に語っていた日本選手だったらどう対応しただろうか。個人でメダルを勝ち取った選手も、強化合宿などにおける状況を「日本というチーム」が一丸となって練習した成果と捉えていた。

 そこで、全員がIOCの裁定が下るまではメダル授与を控えたり、表彰台に上がらなかったのではないだろうかなどと仮想した。

 ベルリン・オリンピック(1936年開催)の棒高跳びで、日本人選手2人が2、3位の順位決定戦にもつれ込む。5時間に及ぶ激闘をやった後の、夜9時を過ぎての日本人同士の順位決定戦。

 4メートル25センチを1本目でクリアしていた西田修平は、日没であったことやこれまでの国内試合(3位になった大江季雄は日本記録保持者)などを考えてか、競技を打ち切って2位を分け合うことを審判に要請する。

 提案は受け入れられなかったが、大江を2位の表彰台に上げ自分は3位の表彰台に立った。帰国後、銀と銅の2つのメダルは真ん中で切断され、銀銅半々のメダルとして繋ぎ合わされる。「友情のメダル」として、かつては教科書にも載った日本人の美談である。

 1997年の通貨危機の時、韓国はIMFの管理下に置かれた。日本は米国に次ぐIMFへの出資国であり、韓国の窮状を救うべく尽力した。その後の韓国はウォン安で輸出競争力を維持してきた。