大都会、上海の一般市民の生活は、意外に質素で単調である。
例えば、30代のサラリーマン男性なら、月~金曜日は会社で働き、仕事を終えると寄り道せずに家族で夕食。土日は子どもを習いごとに連れていく。20代なら毎日勉強だろう。学生は宿題の山をこなし、試験で良い成績をとるために脇目もふらず勉強する。また、キャリアを高めて収入をアップするために週末は大学に通うという社会人も多い。
若い家族がたまに子連れで出かけようとしても、ショッピングセンターは無数にあるのに、家族で楽しめる「行楽スポット」は数えるほどしかない。目的地までの交通手段や所要時間などを考えると、消極的にならざるを得ない。
1980年代生まれ、90年代生まれの遊び盛りの若者たちは、外出よりもネットやゲームなどに時間を費やす傾向が強い。
上海は、金持ちには楽しくても、中所得者層以下にとっては「ときめき」も「わくわく感」もない街である。むしろ市民はあらゆる抑圧に「我慢」しながら生きている、というのが実情だ。
日本の夏はお祭りに花火大会
同じく大都市である東京と上海を比べると、日常生活は東京の方が格段に楽しく思える。ちょっとした気分転換ができる場所が身近にたくさんあるし、自分の趣味にお金を投じることもできる。もちろんお金がなくても、ないなりに充実した時間を過ごせる。
町内では四季折々にいろいろな催しがある。提灯が点り、祭り囃子が聞こえてくるだけで、何かわくわくするものがある。四季折々の伝統行事は、東京のみならず全国津々浦々で盛んだ。
筆者はこの夏、東京の阿佐ヶ谷で開かれた「七夕まつり」を訪れた。商店街のアーケードは、七夕飾りだけでなく、各商店主がこしらえた巨大な張りぼてで埋め尽くされる。その張りぼてを写メに撮りつつ、屋台の料理を食べ、人のうずの中で押し合いへしあいしながら、長い商店街をそぞろ歩く。ただそれだけでも、「人が集まるところに自分が存在する」ことに妙な満足感を得た。