今週の1位は東京大学の伊東乾准教授による「国立大学の博士が起こす事件の裏に入試制度あり!」だった。博士と言われる人たちがこのところ様々な事件を引き起こしているが、その原因の1つとして、大学と大学院の入試制度にゆがみがあることを指摘した記事である。
圧縮成長してきた韓国の制度疲労
この記事が示唆していることは、大学教育に限定されたものではない点に留意したい。
制度が疲労を起こした場合、普通は改善を図ろうとする。この記事にある大学の教育制度もそうだった。
しかし、その改善が場当たり的でその場を繕うようなものだった場合、改善が改善にならず、むしろ事態を悪化させる場合がある。
成功してきた制度は、それが作られた時には非常に高い理念に支えられていたはずである。
それが時代に合わなくなったとき、その理念を忘れ、また新しい理念に裏打ちされないまま対処療法的な修正を加えると、制度の疲労は一気に高まる。
記事公開からデータ収集まで半日しかなかったこともあって今回は20位以内に入ってこなかったが、アン・ヨンヒさんの「格差社会の韓国、今度はテコンドーでひと騒動」も同じような示唆に富む。
経済発展を最優先して日本に追いつけ、追い越せで突っ走ってきた韓国は様々な制度のひずみを抱えている。
それを政府は何とか修正しようとするのだが、ほとんどの場合、場当たり的なため改善ではなく改悪の効果が目立ってしまう。
この記事のテコンドーもまさにそうだと言える。
アンさんは韓国政府のそうした改革を中国の故事になぞらえて朝三暮四だと言う。
そして、その実例をこれまでにいくつかの記事で示してきた。例えば、「国民を猿扱いする韓国政府の法改正」や「韓国民を騙す政治のテクニック、今度は新婚家庭に」などである。
これらを対岸の火事だとして嗤うことはできない。日本にも同じようなことが多々あるからだ。アンさんの「ネット市民の攻勢で苦境に立つ韓国の零細企業」の記事は働き方にまつわる法改正がひずみを生じてしまった例だが、日本にも当てはまらないだろうか。