規範意識は蟻の一穴で緩んでいく

 もう一点、この事件において注視すべきは、問題が起きたのが東京都の特別区という、全国の地方自治体の中でも相対的に財政基盤が安定しており、人的資源にも恵まれ、職員の資質も高いとされている環境であったという事実である。

 過疎化が進む小規模な自治体において、慢性的な人手不足や予算の制約から事務体制が脆弱化し、結果として管理が行き届かずにミスが生じるという構図であれば、構造的な要因として理解される余地があるかもしれない。

 しかし、大田区のような相対的に豊かなリソースを有する自治体においてさえ、特定の業務の担当者が実質的に一人しかいないという属人的な状態が生じていたことは、組織のガバナンスという観点から見て、また構造的な問題が大きいと言わざるを得ない。

 さらに事態を深刻にしているのは、これが単発的な出来事ではなく、2022年の参院選のみならず、2024年の東京都知事選挙など、他の複数の選挙にわたっても同様の不正操作が行われていた疑いが指摘されている点であろう。

 報道によれば、現場の係長クラスから票の不一致と水増しについて報告を受けていたにもかかわらず、選挙管理委員会の事務局長がこれを区の幹部などに報告せず、事実上黙認・隠蔽していたとされている。本件が明るみに出たきっかけも、内部告発的なネット上での書き込みなどがきっかけだという。

 これは、現場の担当者レベルの個人的な逸脱行為にとどまらず、管理監督の責任を負うべき管理職までもが不正の構造に関与していたことを示唆している。

 二重、三重の隠蔽工作が組織的に行われていたとすれば、当該組織における規範意識は大きく低下しており、選挙を管理すべき委員会そのものが機能不全に陥っていたと評価されてもやむを得ないだろう。

 大田区におけるこの事態は、果たして同区特有の例外的な事象として片付けてよいものだろうか。日本の選挙管理の厳格さを疑わせるこの事件は、他の全国の地方自治体の選挙管理委員会においても、同様の辻褄合わせが水面下で暗黙のノウハウとして共有され、日常的に行われているのではないかという疑念を抱かせるに十分なものである。

雪が降る中、投票所に向かう人たち(写真:共同通信社)

 実際、過去の事例を紐解けば、選挙管理委員会による票の不正操作は今回が初めてのケースではない。例えば、2013年の参議院議員選挙において、香川県高松市の選挙管理委員会が、集計の段階で発生した票の不一致を隠すために白票を約300票水増しするという事件が発生し、当時の選管事務局長らが公職選挙法違反で逮捕され、有罪判決を受けている。

高松市選管 開票作業の不正から3年 - 香川 - 地域:朝日新聞デジタル  

 また、2014年には仙台市青葉区で同様に票の不一致を隠蔽するための集計不正が発覚しているし、千葉市では無効票を減らす不正な操作が行われた。

衆院選で集計ミス 仙台市青葉区、担当者が隠蔽工作 - 日本経済新聞  

千葉市議選開票で不正集計…無効票8票減らす : 読売新聞オンライン  

 これらの事例に共通しているのは、現場の職員が票が合わないことによる作業の遅延や、それに伴う責任追及を逃れるために、安易な帳尻合わせに走ったとみられる点である。

 一つの小さな不正が許容され、あるいは看過される土壌が組織内に形成されれば、それは次第にエスカレートしていく危険性を孕んでいる。

 規範は蟻の一穴で緩んでいく。

 最初は単なる白票の水増しであったとしても、その隠蔽体質が常態化すれば、やがては特定候補者の票数の意図的な増減など、選挙結果そのものを直接的に左右するより深刻な不正へと発展する可能性も否定できない。

 選挙事務という密室性を伴う業務において、ただでさえ官僚機構で指摘されがちな関係者間の同調圧力や前例踏襲主義が支配的になれば、内部からの自浄作用を期待することは困難となりかねない。

 今回の大田区選挙管理委員会においても、第三者委員会「大田区選挙事務不適正処理再発防止委員会」が設置され、5度にわたって会議が開催され、再発防止の提言書を取りまとめている。

 ただし、ある意味当然のことながら、対象は当該案件に限られ、全国の選挙管理委員会を横断するような不正防止に踏み込んでいるわけではない。

 一地域の選挙管理委員会だけではなく、全国的な精査と再発防止策が必要ではないか。