占い師に心身ともに支配されていた(写真:DANKO_N/イメージマート)
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 2004年にグラビアアイドルとしてデビューし、バラエティを中心にテレビ番組の人気者となった小阪由佳は2009年に引退宣言をした。その後、激太りした姿で過激なライブパフォーマンスを行い、強烈な内容のブログを発信して世を騒がせたこともあった。そんな暴走の背後には、彼女を操っていた占い師の存在があったという。『六本木洗脳』(晶文社)を上梓した小阪由佳さんに聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)

──2004年、グラビアアイドルの登竜門「ミスマガジン」でグランプリを獲得したときのことについて書かれています。「ミスマガジン」の影響は大きかったですか?

小阪由佳氏(以下、小阪):私がデビューした平成グラビアアイドル時代は「ミスFLASH」「日テレジェニック」など複数のコンテストがあり、いずれも人気でした。ただ、その中でも「ミスマガジン」の存在は大きく、グランプリを受賞すれば、次々と仕事が入ってくるような状況でした。

 私の場合も受賞後に一気に知名度が上がり、まず大手コンビニエンスストアのCMが決まり、それからドラマやバラエティの仕事が次々と舞い込んできました。

──「グラドルの場合、アイドルのように卒業宣言をすることはなく、ふんわり女優やバラエティタレントに転身していく感じ」と書かれています。当時、自分のこれからをどのように考えていましたか?

小阪:演技やトークなど、何か人より秀でた才能が自分にあるという確信はありませんでしたし、何かの道を目指して芸能界に入ったわけではなかったので、内心ではすごく戸惑っていました。ただ、グラビアアイドルとバラエティ番組の相性がいいこともあり、バラエティのお仕事が増えて、次第にバラエティのタレントという意識を持つようになりました。

──「『天然おバカ』といういつの間にか与えられたキャラの中でのほほんとした発言を繰り返していたが、内心はすぐその場で吐けそうなぐらい緊張していた」と書かれています。

小阪:平成のテレビは「おバカキャラ」「ロリ巨乳キャラ」など、カテゴリーでタレントを分類する傾向が今以上にありました。これはキャスティングがやりやすいからです。私の頃は島田紳助さんが活躍していた時代ですが、紳助さんは特に出演者をキャラ分けしながら番組を作っていた印象があります。

 さまぁ〜ずさんが司会をされている『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』がロケ中心の番組構成から次第にクイズ番組へと変化したように、クイズ番組が多かったこともカテゴリー分けが進んだ要因かもしれません。「おバカな回答ができるか」「知的な回答ができるか」など、自然と分類ができていくのです。

 人気タレントでも「自分のポジションが奪われるのではないか」という警戒感があり、タレント同士で仲良く付き合いつつも、どこか殺伐とした雰囲気もありました。1つの枠を数千人が取り合う世界ですから、自然とそうした緊張感が生まれるのだと思います。

──「姉さん」と小阪さんが呼んでいた年上の占い師との出会いについて書かれています。その後、小阪さんの人生を翻弄する人物ですが、どのようにして出会ったのですか?

小阪:ある番組で共演して姉さんと知り合いました。当時私は仕事をたくさん抱えていましたが、将来もずっと芸能界でやっていけるか不安な気持ちが強く、やがて姉さんに相談をするようになったのです。

──あらためて、この占い師がどんなことをしていたのか教えてください。