ベネズエラの首都カラカスで米軍に拘束されニューヨークに移送されたマドゥロ大統領(左、1月3日撮影、写真:アフロ/AP)

グローバル社会における法の支配の崩壊

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 ベネズエラの首都が米軍によって攻撃され、ニコラス・マドゥロ大統領が米国政府によって拉致された。

 米国政府はこれを国内法の適用に基づく犯罪者の逮捕であると説明しているが、その説明に賛同して米国の主張を受け入れる国々はほとんど見られない。

 この拉致事件は非自衛的な武力行使であり、国連憲章や国際法に反しているとの見方が支配的である。

 それほど問題視されているにもかかわらず、米国が世界最強の国家であるため、力による報復を恐れて、米国に対して厳しい制裁措置を求める意見は出てこない。

 国際法や国連憲章に反していると批判的な見解を発表するのがせいぜいである。

 これは現在のグローバル社会において法の支配が崩壊していることを示している。

 法の支配がなければ法治による秩序形成も実現しない。これは法治に基づく世界秩序形成の根幹が危機に直面していることにほかならない。

法治の限界

 日本の江戸時代には儒学者(陽明学)の中江藤樹が法治について以下のように分かりやすく説明していた。

「徳治は先ず我が心を正しくして、人の心を正しくするものなり。(中略)法治は我が心は正しからずして、人の心を正しくせんとするものなり」(中江藤樹(1608~1648年)「翁問答」)

 この説明から明らかなように、法治はそれだけで秩序を形成できるものではない。

 為政者、権力者も法に従うことを求める法の支配は秩序形成の最低限の条件であるが、それだけで秩序が保たれる保証はない。安定的な秩序形成には為政者、権力者、組織のリーダーの心が正しいことが必要である。

 心が正しいとは利他、至誠、知行合一などの概念によって代表される良心である。

 社会や組織が法に従っていても、法を運用する側の権力者が正しい心を持っていなければ、法は私利私欲を追求するための道具となり、人々が安心する秩序形成にはつながらない。

 その典型例が今回のマドゥロ大統領拉致事件である。