【第4~5日(12月31日~1月1日)】連鎖するストライキと学徒の決起

 新年を迎えても勢いは衰えず、むしろ激化の一途をたどった。テヘランのグランド・バザールに加え、タブリーズ、イスファハーン、シーラーズのバザールも相次いで閉鎖された。バザール商人の店舗閉鎖は1979年革命時に用いられた極めて効果的な抵抗手段であり、この戦術の組織的復活は体制にとって重大な脅威となっている。

 同時に、テヘラン大学、シャリーフ工科大学、アミール・キャビール工科大学などの首都の主要大学で学生デモが発生した。学生たちは「独裁者に死を」「イスラム共和国はいらない」と叫び、現体制の正統性を正面から否定した。

【第6~7日(1月2~3日)】弾圧と革命防衛隊の不気味な沈黙

 体制側はバスィージ民兵部隊を動員し、一部の都市で暴力的弾圧を開始した。治安部隊との衝突により、少なくとも最初の死者が報告されている。

 しかし、注目すべきは、体制の最強の実力組織であるIRGC(イスラム革命防衛隊)本体が、いまだ大規模な制圧作戦を展開していない点である。この抑制的対応に関し、IRGC内部で何らかの計算が働いているか、あるいは体制内部で亀裂が生じている可能性もある。

 一方、レザー・パフラヴィー元皇太子は、1月2日、インスタグラムの数百万のフォロワーに対し「テヘランと大都市の街路を占拠せよ」と呼びかけ、道路封鎖と継続的な街頭占拠という具体的な戦術を提唱し、運動の方向性を決定づけようとした。

 1月2日には、イラン南東部シスタン・バルチスタン州の州都ザヘダンで、少数民族のバルーチ族の抗議活動が全国的な抗議運動に合流したことも特筆される。

【第8日以降(1月4日~)】持続性の確立

 抗議活動は8日目以降も、テヘランをはじめイラン全土で拡大、継続している。過去の運動は数日で鎮静化することが多かったが、今回は経済的絶望が「引き下がる選択肢を持たない」状況を作り出している。

 これまで体制側は「経済改革アジェンダ」の再活性化を目指してきたが、国民の要求はもはや体制の完全な変革へと進化してしまった。ペゼシュキアン大統領も、1月6日のテレビ演説で、通貨暴落やインフレ問題に関し、「我々は政府がこれらの問題を全て一手に引き受けると期待してはならない。政府にはその能力がない」と述べ、政府の限界を自ら認めているほどである。

 この数日は、抗議活動の態様も、当初の平和な集会から座り込みへ、そして、バスィージ民兵組織や体制側拠点へのヒット・アンド・ランを行うなど巧妙さを増しつつ、治安当局との衝突が各地で散発している。

 特に、クルド系が多いイラン西部のイラム州での抗議活動は勢いを増しており、治安当局と市民の間で衝突が発生し、デモ参加者が負傷し手当を受けていた病院にまで治安部隊が催涙ガスを発射し、問題化している。1月6日には、テヘランのグランドバザールでの抗議活動の座り込みを排除しようとした治安当局と市民の間でも激しい衝突が発生した。

 体制側は、実弾や催涙ガスも使用し抗議デモの鎮圧に努めているが、今回の抗議活動の勢いには沈静化の兆しは全くない。体制側においては、イラクのシーア派民兵組織までもイラン国内に徴用しようとしている兆候もあり、徹底的なデモ鎮圧に踏み切れば、流血事態が拡大する恐れもある。

 興味深いのは、イラン各地でイラン・イスラム共和国の国旗が燃やされる一方で、緑、白、赤の三色旗の中央にライオンと太陽を描く王政時代の国旗が公然と市民によって掲げられていることだ。これは、イラン国民が「イスラム共和国体制」をもはや正統な統治体制として認めないということを象徴している。

イランの体制転換を求めて米ワシントンのホワイトハウス前で集会を行うイランの反体制派「イラン国民抵抗評議会(NCRI)」の支持者たち(2025年12月31日、写真:AP/アフロ)