イランの最高指導者ハメネイ師(写真:Iran's Supreme Leader/ZUMA Press/アフロ)
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イスラエルによるイランへの攻撃、イランからイスラエルへの反撃、そして米国によるイラン核施設の攻撃……。この6月に一気に緊迫した中東情勢は、イランと米国、イスラエルの間で停戦が成立し、3カ国の軍事衝突はひとまず危機を脱しました。しかし、情勢は流動的です。イランの最高指導者ハメネイ師が「勝利」を宣言する一方、トランプ大統領は核開発の能力が残っていれば再びイランを空爆する構えを崩していません。では、超大国に一歩もひるむ様子を見せないイランとはいったいどんな国なのでしょうか。意外と知らないイランの歴史をひもときながら、やさしく解説します。

フロントラインプレス

米国とイランの因縁、背景にイスラム革命

「40年もの間、イランは『米国に死を』『イスラエルに死を』と言い続けてきた。彼らはわれわれの国民を殺してきた。路肩に仕掛けた爆弾で、われわれの手足を吹き飛ばしてきた」

 6月21日夜、米国がイランを空爆した直後にホワイトハウスで開かれた記者会見。トランプ大統領はイランとの因縁の歴史にこう触れ、米国の攻撃を正当化しました。

 トランプ氏の頭には、1979年のイスラム革命があったに違いありません。

図:フロントラインプレス作成

 この革命では、親米のパーレビ国王による王政が、イスラム主義勢力によって倒されました。亡命先のパリから戻り、最高指導者となったホメイニ師は米国を「大悪魔」と呼び、敵視しました。

 エジプトに亡命したパーレビ国王が米国に入国したことから、ホメイニ師支持の学生たちが首都テヘランの米国大使館を占拠。国王の引き渡しを求めて大使館員らを人質にとり、444日間も立てこもりました。これをきっかけに米国はイランと国交を断絶します。

 しかし、それ以前にも両国間には消し去ることのできない因縁の歴史があります。イランの人たちの胸には今も「米国の裏切り」と刻まれているとされています。それは、どんな“刻印”なのでしょうか。