これからのスケート人生でお返ししていきたい
全日本選手権までの日々も順風満帆ではなかった。
「練習で何度かプログラムを滑りながら涙したこともあったり、頑張るぞって思いながらも練習で思うように体が動かなかったり、いろいろな思いもありました。今まで辛い経験も、振り返ってみればたくさんあるんですけど、その日々がなかったらやっぱりこうしてここに戻ってくることもできなかったんじゃないかな、というのもあります。たくさんの経験をすることができて、本当に強くなれたっていうことかなって思います」
そして強さを示してみせたのが、11度目の全日本選手権だった。
演技を終えてリンクサイドに戻ると、三原を指導してきた中野園子コーチが出迎え、ハグしながら言葉をかける。
「中野先生からは、まず『ありがとう』と言っていただくことができて、『集中力、さすが』というふうに言っていただけました」
そして三原は続ける。
「18年間、中野先生、グレアム(充子)先生のもとでこうしてスケートを長く続けることができたのは本当に先生方のおかげでもあり、応援してくださる皆様のおかげなので、私も『ありがとうございます』という言葉に尽きます」
その言葉に、ふと尋ねた。
——今まで中野先生に「ありがとう」と言ってもらったことはありますか?
三原は答える。
「何度か言っていただいたことはあります。でも、演技直後に『ありがとう』の5文字をいただいたのは初めてだったんじゃないかなって思います」
それは長年みてきた指導者からの、最大の労いであり、賛辞であるように思えた。
今シーズンをもって、一つの時代を彩ったスケーターは、競技生活から退く。でもスケーター人生が終わるわけではない。
「感謝の思いをこれからのスケート人生でお返ししていきたいなと思います」
そして三原はこうも語る。
「滑っているときのお客様の表情だったり、目の方向だったり、最後のスピンを回っているときに聞こえた拍手の音だったり、最後のお辞儀のときに見ることができた光景だったり、一生忘れることはないかなって思います」
全日本選手権での最後にみせることができた、目標としていた「強いアスリート」たる姿を体現する演技とともに、会場の記憶もきっと、これからの人生の糧となっていくだろう。
三原の滑走が終わると、リンクは製氷作業に入る。競技の再開まで、しばし間が空くことになった。
観客席の人々が、気兼ねなく拍手をおくり、手を振り続ける姿があった。それに応えるように三原もすぐに退くことなく、手を振って応える。
それはまるで天の配剤のようだった。
『日本のフィギュアスケート史 オリンピックを中心に辿る100年』著者:松原孝臣
出版社:日本ビジネスプレス(SYNCHRONOUS BOOKS)
定価:1650円(税込)
発売日:2026年1月20日
冬季オリンピックが開催されるたびに、日本でも花形競技の一つとして存在感を高めてきたフィギュアスケート。日本人が世界のトップで戦うのが当たり前になっている現在、そこに至るまでには、長い年月にわたる、多くの人々の努力があった——。
日本人がフィギュアスケート競技で初めて出場した1932年レークプラシッド大会から2022年北京大会までを振り返るとともに、選手たちを支えたプロフェッショナルの取材をまとめた電子書籍『日本のフィギュアスケート史 オリンピックを中心に辿る100年』(松原孝臣著/日本ビジネスプレス刊)が2026年1月20日(火)に発売されます。
プロフェッショナルだからこそ知るスケーターのエピソード満載。さらに、高橋大輔さんの出場した3度のオリンピックについての特別インタビューも掲載されます。
フィギュアスケートファンはもちろん、興味を持ち始めた方も楽しめる1冊です。