読売新聞が憲法改正試案を出した意義
──本の中に書かれていましたが、新聞のスポーツ担当の記者の方によると、渡辺さんはコメントを求められると、結構答えてくださる方だったそうですね。
安井:そうなんです。ご自身が記者出身だということもありサービス精神が旺盛で、黙っていれば波風が立たないような場面でも、水を向けられるとどうしても喋ってしまうとスポーツ紙の記者の方がおっしゃっていました。だからこそ、渡辺さんは記者にとっても取材のしがいがある方だったといいます。
──渡辺さんは自らの主導で、1994年に「憲法改正試案」を読売新聞紙上で発表しました。なぜこうした試案を出したのでしょうか?
安井:渡辺さんの問題意識としては2点ありました。1つは渡辺さんからすると日本の憲法はGHQが主導して作ったもので、日本人が自ら作った憲法ではないという基本認識を持っていました。それは占領下では致し方なかったとおっしゃっていましたが、占領から独立した段階で、もう一度自分たちの手で作り直すべきであると考えていました。
加えて冷戦後、特に湾岸戦争後の国際環境の変化を挙げていました。湾岸戦争後に自衛隊の国際貢献が求められるようになっていきましたが、現行の憲法ではなかなか対応できないという理由から、渡辺さんは憲法改正をするべきだと考え、そのたたき台として、憲法改正試案を読売新聞紙上で発表したのです。
──読売新聞が「憲法改正試案」を出したことを、世の中はどのように受け止めましたか?
安井:メディアが正面から憲法改正を提起することが珍しかった時代に、読売新聞という大手メディアが憲法改正試案を出したことで、賛否両論を含めた大きな論議が巻き起こりました。
当時、読売新聞にいらした方は「新聞が世の中を誘導するようなことをするべきではない」という批判の声が数多く寄せられたと述べています。新聞社が憲法改正試案を出すこと自体への批判と、内容に関する批判との2つがあったようです。
一方で国論を二分しかねないテーマに対して、正面から試案を出したことを評価する声もありました。そして改憲論ではあるものの、いわゆる復興論的な内容とは一線を画す、リベラル的な要素も取り込んだ現代的改憲論であるとの声もありました。
世論調査を見ても、1990年代前半以降「憲法改正をするべき」という意見が増加しました。冷戦後の国際環境の変化も要因として大きいと考えられ、試案の定量的な影響を推し量ることは困難ではあるものの、憲法改正をめぐる議論に試案が一石を投じたことは事実だと思います。
──「憲法改正試案」以降、読売新聞はさまざまなテーマで提言報道を行うようになったと書かれています。新聞社が提言を出していくことは、日本のメディア史を考える上で、どのような意味を持つと思われますか?