平賀源内生存説 ②蝦夷逃亡説
また今回の放送では、源内ゆかりの地として秋田も注目されることになった。蔦重が医者であり蘭学者の杉田玄白を訪ねて「源内生存説」をぶつけてみた。
すると、『解体新書』を完成させるに当たって、源内に紹介された小田野直武という絵師に挿絵を担当してもらったが、その直武が不審の死を遂げたのだという(実際の直武の死因は諸説あり)。
「直武は平賀源内の逃亡に協力したために殺されたのではないか……」
平賀源内が生きているかもしれない――。蔦重がそのことを妻のていに告げながら、自分のそんな推測を述べると、ていもまた「源内生存説」に興味を持ったようだ。
直武が秋田藩士だったことから、秋田藩士の朋誠堂喜三二(ほうせいどう きさんじ)に手紙で相談。喜三二はすぐさま駆けつけて「源内先生ってのは秋田で、でっけえ紙風船を飛ばしたことがあんのよ」と話し出した。蔦重は「源内が紙風船に乗って蝦夷に渡ったのではないか」と大胆なイメージを膨らませている。
秋田では、灯火をつけた巨大な紙風船が夜空を舞う「上桧木内(かみひのきない)の紙風船上げ」という行事が今でも行われており、銅山の技術指導に訪れた源内が考え出した風船遊びから始まったものと伝えられている。
また、蝦夷地には「源内は出獄して蝦夷に逃げた」という伝承が、複数の地域で残っている。源内が蝦夷地を訪れたことはないが、深く関心を持っていたために、そんな説が生まれたようだ。