視野が狭かったのに気づいた
もう1つのきっかけは、LYSのコーチとなった田村岳斗との会話にあった。田村は長野オリンピックの日本代表で、引退後はプロスケータ―やコーチなどで活動していた。
「岳斗先生から、コーチ業をまた始めようかな、みたいな話を聞いていて、どういう流れだっただろう、新しいところで、みたいな話になって。アメリカ合宿のすぐあとだったと思います」
その2つをきっかけとして行動は始まった。そして選んだのが新潟だった。
「ほかにも候補地はあったんですけど、MGC三菱ガス化学アイスアリーナは24時間貸し切りがとれるというのと、新潟の連盟の方も協力的だったので決めました。動き始めて2週間くらいで全部決まりました」
名古屋で教えていた小中学生の選手4名もそろって新潟へ移った。
「話したときは、びっくりしていましたけれどついてきてくれたんです。ありがたいなと思います。教えている内容はそんなに変わらないですね。ただリンクでけっこう滑れているという点は感じます」
名古屋では練習のたびにリンクを借りる手間が相応にかかり、クラブも多いため簡単にスケジュールは組めなかった。その違いも大きかっただろう。
それでも大きな決断ではあるが、樋口は言う。
「ためらいはなかったですね。全然なかった。挑戦したいという気持ちが強かったです。アメリカに行って、今まで視野が狭かったのに気づいたというか、広がったというか、そう感じたのと、あとは名古屋にずっといて楽しちゃっていたなという気持ちもありました」
挑戦の背景には、スケートを普及させたいという思いもあった。