文=松原孝臣 撮影=積紫乃

「僕を見本にしないでください」

 樋口美穂子が教えた選手として、広く知られている選手と言えば、やはり宇野昌磨になるだろう。昨シーズン、出場するすべての大会で優勝、世界選手権連覇を果たした。はたからは充実一途とも思えた中、樋口は違った。

「たしかに世間的には優勝を続けていて、チャンピオンで、というイメージだったかもしれません。でも演技を見て気になっていたので、(2022年の)全日本選手権後、中京のリンクで会ったときに『今、楽しい?』と言葉をかけました」

 そこからひとしきり会話する中でアドバイスもおくったという。

 迎えた今シーズン。

「目標として『自己満足』って言ったじゃないですか。いいなと思ったんですけど、やっぱりアスリートなので負けたくもない。葛藤もあるでしょうね。トップになって、期待も寄せられますし、それが運命なのか何なのか分からないけれど」

 トップであり続ける立ち位置の難しさに触れつつも、宇野がトップにいることについて、樋口は話を続けた。

 今シーズンの全日本選手権では、男子フリーの終盤、好演技が相次いだことが話題となった。特に最終グループの6人のハイレベルな演技は「全員を世界選手権代表にしたい」というほどだった。好演技が続いたのもさることながら、互いを称える姿や言葉が伝わり、彼らが醸し出す雰囲気も余韻を残した。

 樋口は言う。

「トップの存在が大きいですね。トップの人によっては、下はぴりぴりするじゃないですか。今は昌磨と坂本(花織)さんなので、みんないいんじゃないですか。坂本さんも後輩思いでフレンドリーだし、(上薗)恋奈ちゃんにも声をかけてくれたりしますから。昌磨も先輩面しない。『僕を見本にしないでください』って言うくらい(笑)」

2023年12月25日、世界フィギュア日本代表記者会見での坂本花織(左)と宇野昌磨 写真=日刊スポーツ/アフロ

 フリーでは、最終滑走の宇野が直前の 山本草太の演技を真剣にみつめ、滑り終えると手をたたいて称える姿があった。

2023年12月23日、全日本選手権、男子シングル、FSを終えた山本草太(左)と次の滑走者の宇野 写真=西村尚己/アフロスポーツ

「昔からそうです」

 と言うと、2018年の平昌オリンピックの思い出を話した。

「ショートプログラムは4位にボーヤン(・ジン)がいて3位に昌磨、2位にハビエル(・フェルナンデス)、トップがゆづ(羽生結弦)。フリーは昌磨が最終滑走でした。多くの選手は自分の演技が終わるまでほかの選手の演技を見ないと思うんですけど、あの子はみんなの応援をしていて、昌磨の直前に滑っているハビエルのときもハビエルが好きだったので一生懸命、応援していました。

 1個、ジャンプがパンクしたんですね。そうしたらもう、『はー』と悔しがっていて。昌磨は次に滑るのにと、さすがに私も心配になってきて『昌磨、大丈夫? 次だよ』と声をかけたんです。『大丈夫です。僕は僕のことをやりますから』と言っていましたね」

 宇野は見事銀メダルを獲得して、大会を終えている。