文=松原孝臣 撮影=積紫乃

今年5月に引退

 3シーズンに渡るその輝きは、あせることはなかった。

 村元哉中と高橋大輔は、期待を大きく上回る成長を見せ、数々の好成績をあげながら、強い光を放つ演技を氷上に描いた。日本におけるアイスダンスへの関心を飛躍的に高めた功績も特筆される。2人は今年5月、大きな余韻を残しつつ競技生活から退くことを発表した。

 記憶から消えることのない世界を築けた要因として、アイスダンス初挑戦の高橋を支えた村元の存在は欠かせない。

 村元は、誰もが評価する屈指の表現力とともに、高橋と組む以前からアイスダンサーとしてたしかな存在感を放ってきた。

 今日へと至る足跡はどう刻まれてきたのか。まずは出発点を村元は語る。

「私の生まれは日本なんですけど、その前から父の仕事の関係で両親はタイに住んでいたんですね。私も生まれてすぐにタイで生活を始めたのですが、タイには冬がないので冬のスポーツを経験させたいという母の思いがあり、日本に帰ったときにスキーやスケートをさせてくれました。初めて氷に乗ったのはフルーツフラワーパークです。神戸の野外のリンクです」

 その後、同じ神戸のポートアイランドにあるリンクにも足を運んだ。そこでは中野園子、グレアム充子コーチが指導にあたっていた。今日では坂本花織、三原舞依、壷井達也らの指導者としても知られる。

「お教室に入ってみませんかって声をかけていただいて、スケートを始めました」

 姉の小月もスケートに取り組んでいた。

「姉と幼馴染は試合に出たいという気持ちが強かったですが、私はきらきらの衣装が着たいというのが大きかったですね(笑)」

 2005年からは濱田美栄コーチに師事。当時はシングルの選手として活動し、18歳で出場した2011年全日本選手権のショートプログラムで6位となってフリーを最終グループで迎え、総合10位の成績を残している。

 村元はシングルスケーターの時代をこう振り返る。

「始めたきっかけも周りだったし、もちろん好きでやってはいたんですけど、すごい楽しいというのはなかったです」

 でも心持ちが一変するときが訪れた。

「『スケートって楽しいな』と思った瞬間がありました。それがアイスダンスを始めたときなんです」

 変化のきっかけが訪れたのは大学2年のときだった。