樋口美穂子 撮影/積 紫乃
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(松原孝臣:ライター)

多くのトップスケーターを輩出する名古屋、グランプリ東海クラブで長年指導し、2022年に独立。その後も名古屋を拠点にしていた樋口美穂子コーチが、今年から新潟へ移動、指導を始めることになりました。前編ではきっかけやフィギュアスケートへの変わらぬ情熱、後編ではオリンピックシーズンにおける選手の指導、コーチとしての考えを伺いました。(JBpress)

●フィギュアスケートコーチ・樋口美穂子インタビュー(後編)はこちら

きっかけはアメリカでの指導

 新潟での生活を尋ねると、こう答えた。

「すごく気に入っています。居心地がいいです。あまり人混みが好きじゃないんですけど、どこに行ってもごちゃごちゃしていなくて。それに食べ物がおいしい。スーパーのお刺身で十分おいしいし、野菜もおいしいです」

 フィギュアスケートのコーチ、樋口美穂子は、充実した時間を過ごしているような笑顔で話した。

 今から5カ月前、5月の発表は驚きと反響を呼んだ。名古屋を支部としつつ、新潟のMGC三菱ガス化学アイスアリーナに新たな拠点を設け、樋口が移り指導にあたるというものだった。

 樋口は選手時代も含め、スケート人生を名古屋で過ごしてきた。教える立場になってから、一昨年に独立して「LYSフィギュアスケートクラブ」を立ち上げる前もその後も、厳密には名古屋市以外の愛知県のリンクも使用してきたが、宇野昌磨をはじめ数々のスケーターを指導してきたのは名古屋でのことだった。

 30年をゆうに超える年数を指導者として歩み、基盤も築いてきた地から移るのは大きな決断と言える。

 きっかけは2つあったと言う。

 1つは今春、アメリカで指導にあたったこと。

「突然、ホームページにアメリカのスケート連盟からメールが届きました。強化合宿があるので、そこに講師として来てほしいという内容です」

 何をやればいいのか具体的にはなかったし、オファーの理由もなかったが、樋口は承諾しアメリカに向かった。

「行ってみてもオファーした理由の説明はなかったですね。指導したのはフットワークとジャンプかな。合宿にはたくさんのコーチがいて、ジャンプなら、ルッツはグレイシー・ゴールドが教える、この種類のジャンプは誰誰が教える、という具合でした。その全体をみてほしいと言われました。

 印象的だったのは男女を問わず、ものすごくパワーのある子が多かったことですね。日本の選手よりも全然ある。その分、パワーで跳んでいる子が多くて、パワーもいかされていないように感じて、パワーで跳ばないように、ということはよく言ったかな。能力のある子もたくさんいました。アメリカだけでなくカナダの選手やコーチも来ていましたけど、ノービスくらいの子とかすごく上手でした」

 その時間は刺激にもなった。

「コーチたちが『自分だったらこうやって教える』とかディスカッションを相当やっていて、あ、こっちからモーションをかけるのもいいのかな、とか勉強になりましたね」

 何よりも名古屋しか知らなかったことに気づき、新たな世界を知ったような刺激があったという。