文=松原孝臣 写真=積紫乃
「努力あってこそ」の成長
樋口美穂子のコーチとしてのキャリアの中でも、よく知られるのは宇野昌磨と言って過言ではない。
「昌磨は、ちっちゃなとき、リンクの一般営業で滑っているときから知っていました」
グランプリ東海に宇野が入ったきっかけにも樋口はかかわっている。
「そのときにいたアシスタントの子に、『どこか教室に入っていないのかな、一回、お母さんに声をかけてみて』と言ったんです。そうしたら、ただスケートリンクに遊びに来ただけで、どこに入るかも決めていない、と。それがきっかけになったのかは分からないですけど」
声がけの理由は何だったのか。
「とにかくかわいかったから(笑)。あとは光るものがありました。何か目をひくものを持っていましたね」
それを「センス」だと言う。
「感性というか。滑るセンス、ジャンプのセンス、フィギュアスケートに必要なものをすべて持っている、そんな意味合いです」
ただし、宇野の成長は「努力あってこそ」と付け加える。
「正直、シニアに上がるまでは『どうなんだろう』という思いもありました。ジャンプが跳べなくて、跳べない選手の中では上位にいましたけれど表彰台にも上がれなくて。でもスケートがとにかく好きで、どうしてこんなにも滑っていられるんだろうと思うくらい、練習していました」
樋口は、宇野の競技用のプログラムすべての振り付けをし、大会では常に帯同していた。宇野の悔しがる姿も、喜ぶ姿も、すべてを目にしてきた。まさに手塩にかけて育てた宇野は2019年、グランプリ東海を「卒業」した。
「山田満知子先生は前から勧めていたようですが、私は出て行ったほうがいいという言い方ではなく、『いろいろな振付師さんにやってもらったら』『ジャンプを違う先生に習ってみようよ』といった話を以前からしていました。もっと視野を広げてほしいと思っていたからです。ただ、本人は乗り気ではなくて。振り付けを外の先生に依頼するのも『エキシビションのプログラムだったら』というところまででしたね」
それでも意を決した。2018-2019シーズン、成績を残すことを目標に定め、願っていた結果を出せなかったことは大きかっただろう。
卒業した宇野だったが、当初はコーチ不在。成績は低迷した。
「見ていられなかった」
宇野の成長を思い、快く送り出した樋口にとっても、宇野の姿は辛かった。ただ、「戻ってこいとは思いませんでした」と言う。
「戻ってきてしまったら、意味がないですから。『頑張れー』と見守る、そんな感じでした」