「先生が喜んでいるから」

 その末に宇野が出会ったのは、エキシビションのプログラムなどで交流のあったステファン・ランビエルだった。ランビエルがコーチに就任し、今日までその関係は続いている。

「いいところを選んだな、と思いました。ステファンなら昌磨と合う気がしました。全日本合宿で講師をしているときもほんとうに一生懸命教えていて、人間性の部分で安心できる人であること。それにジャンプを除けば、踊るのも滑るのもできる。今でも世界でいちばんじゃないですか。それくらい上手です」

 苦労した時期も経て、宇野は北京オリンピックで2大会連続の表彰台となる銅メダルを獲得し、3月の世界選手権では金メダルを獲得、世界一にたどり着いた。

「世界選手権はテレビでリアルタイムで観ていました。思わず正座して『頑張れ!』と言っていました(笑)。すごくいい顔をしていたし、オリンピックのときより体つきも『すーっ』となっていたので、これはいけるかな、と思っていました。優勝したときは、やっとだな、と」

 樋口は今シーズンの宇野の活躍の要因に触れつつ、こう語る。

「私といるときは、『金メダルを目指したい』とか『チャンピオンになりたい』とは口にしませんでした。自分の演技ができれば、というタイプですから。ただ、平昌オリンピックで銀メダルを獲ったことで周りの目線も変わりますし、知らない間に自分を追い込んでいたように思います。そういう意味では、鍵山優真君の存在は大きかったと思う。上に羽生結弦君がいて、後輩も出てきて、さて自分はどうする、頑張るしかない、と吹っ切れて向かっていたように思います。(昨年の)春先に練習の姿を見ていたときも、何か、すがすがしく感じたかな」

 宇野ならではの特質も活躍につながったという。

「私が教えていたとき、失敗して戻ってくると『すみません、いい演技できなくて。ごめんなさい』と謝るんです。逆に私が喜んでいると、『先生が喜んでいるから』と喜んだりする。自分に厳しいのであまり喜ばないけれど、先生が喜んでくれているならよかった、と思うタイプでした。(2018年の)世界選手権では足を痛めていて、ほんとうは棄権していい状態でした。でも日本の枠取り(次のシーズンの世界選手権の日本の出場枠)を考えていて、自分の演技が終わったときは『枠、大丈夫ですよね』、と。昌磨は人のために頑張る。周りを気遣う。そうそう、リンクで遊びで競争して遊んでいるときも、歳下の子にわざと負けたりしていたくらい(笑)。ステファンにほんとうに感謝していて、だから喜んでもらえるような演技を、という気持ちが強かったでしょうね」

 楽しそうに話を続けた。そこには、小さな頃からずっと見てきたからこそ知る宇野の内実があり、そして長年、見守ってきたからこその思いが込められていた。

「小さな頃からみたい」という独立の動機の一端がそこにうかがえた。  (続く)

 

樋口美穂子(ひぐちみほこ)
山田満知子コーチのもとでフィギュアスケーターとして活躍し1981年の全日本ジュニア選手権2位、全日本選手権出場などの成績を残す。二十歳で引退し、山田のもとでコーチとなる。2022年世界選手権で優勝しオリンピックでも2大会連続メダルを獲得した宇野昌磨をはじめ、数々の選手の指導にあたる。また振り付けも数多く手がけている。