フィギュア選手の靴、ブレードを理想に導く職人、橋口清彦の情熱(第1回)

文=松原孝臣 写真=積紫乃

2021年11月13日、NHK杯での宇野昌磨 写真=AP/アフロ

独立するきっかけになった、宇野昌磨のフランス大会

 スケートリンクの仕事のかたわら、靴やブレードのメンテナンスを請け負う「兼業」体制から、独立して車で移動しながら出張し作業を行なう形態で橋口清彦は職務にあたってきた。

 独立するきっかけは宇野昌磨にあった。橋口は語り始めた。

「リンクに勤めているときから、グランプリ東海の選手のメンテナンスの依頼を時折受けていました」

 グランプリ東海フィギュアスケーティングクラブとは、愛知県で数々の名スケーターを輩出した名門クラブである。宇野もここで育った。

「そこの選手は(コーチの)樋口美穂子先生がメンテナンスをしているのですが、先生の手に負えない処理だったりするときに依頼を受けていました。そのため(練習拠点の1つである)中京大学のリンクに出入りしていて、そのときに宇野昌磨君と顔を合わせることがあったので面識はありました」

 宇野は2019年6月、グランプリ東海を卒業した。

「美穂子先生のメンテナンスの手から離れるので、みてほしいとお話がありました」

 承諾し、依頼を受けるごとにみていた橋口が打ちのめされる出来事があった。2019年11月、グランプリシリーズのフランス大会だった。

「大会の前、靴をそれまで使用していたものから替えましたが、なかなか合わなくて細かな調整をしました」

 だが、フランス大会は8位、グランプリシリーズに参戦して以来、最も低い順位に終わった。

2019年11月、グランプリシリーズのフランス杯、フリースケーティング後のキスアンドクライでの宇野 写真=Raniero Corbelletti/アフロ

「申し訳ない、そればかりを思いました」

 そして決意する。

「リンクと兼業でやっていてはいけない、もっと技術を突き詰めようとすれば片手間ではできない。選手に悲しい思いをさせたくない、そう思いました」

 橋口はリンクを辞して独立したのである。

 

「自分も人生を懸けてやらなければならない」

NHK杯でFS「ボレロ」を演じる宇野。今シーズンはトウループ、サルコー、フリップにループを加えた4回転ジャンプ5本の構成で挑んでいる 写真=ロイター/アフロ

 安定した収入を投げ打つリスクはあった。でも、思いとどまる理由にはならなかった。

「世界のトップで戦っている選手をみるのだから、自分も人生を懸けてやらなければならない。やりがいと生活を天秤にかけて、やりがいをとりました」

 依頼のたびに、なんとかしてきちんと仕上げたいという一心で取り組んだ。その中で宇野ならではの特徴をつかんでいった。