文=松原孝臣 写真=積紫乃

フィギュアスケートに不可欠、意外に知らない仮設リンクの作り方(第1回)

2019年3月23日、さいたまスーパーアリーナで開催された世界選手権。フリースケーティングを滑り終えた羽生結弦。写真=AP/アフロ

仮設リンクを求められる時代

 スケートリンクの運営管理、体育館やアリーナを大会やアイスショーができるようリンクに仕立て、フィギュアスケートにおいて必要不可欠な存在となった株式会社パティネレジャー。

 まさにアイスリンクのエキスパート集団で、飯箸靖孝は約25年、業務にあたってきた。リンクとのかかわりはもっと長い。

「自宅の近くに民間のリンクがあって、高校3年生のときにアルバイトを始めました。新松戸スターランドです。長久保裕先生や岡島功治先生がいました」

 アルバイトをする中でスケートを滑る経験もした。「滑るのって面白いな」と感じ、大学生になってもアルバイトを続けた。深夜や早朝に練習する選手もいたから対応するために泊まり込んだこともあった。

 冬には地方のリンクの準備に赴くことがあった。

「オープンして子供たちが楽しく滑っているのを見て、やりがいを感じて、ずっとこの仕事を続けてきました」

 長年リンクを通してフィギュアスケートとかかわる中、変化も感じ取ってきた。

「パティネレジャーに入社した頃は長野オリンピックを控えてスケートが盛り上がっていた印象があります。その頃は仮設のリンクを使用するケースはほとんどありませんでした」

 だが、民間のリンクは徐々に減少していった。

 それを理由の1つとしつつ、仮設リンクの設置が求められる状況が生まれた。

「2006年のトリノオリンピックで荒川静香さんが金メダルを獲得しました。その凱旋で、有明コロシアムに氷を張ってアイスショーをやりたいというお話をいただきました。あそこからだと思います」

 その後、フィギュアスケートは選手たちの活躍により人気を高めていく。

「そうすると収容力のある場所を会場にしようとなるわけです。代々木第一体育館はそれ以前から大会が行なわれていましたが、代々木であったり真駒内、大阪のラクタブドームといったところが使用されるようになりました」

 アイスショーも盛んになり、仮設リンクの需要は増していった。そしてさいたまスーパーアリーナのような大規模な収容人数を誇る場所でも大会は開かれるようになっていった。