TBSの人気番組「世界遺産」の放送開始時よりディレクターとして、2005年からはプロデューサーとして、20年以上制作に携わった髙城千昭氏。世界遺産を知り尽くした著者ならではの世界遺産の読み解きと、意外と知られていない見どころをお届けします。
文=髙城千昭 取材協力=春燈社(小西眞由美)
ナポレオン3世によってスペクタルな街に変わったパリ
セーヌ川の中州・シテ島。かつてはフランスの王宮であり、やがて牢獄となった中世ゴシックの城(コンシェルジュリー)で、断首されるまでの2カ月半を過ごしたマリー・アントワネットの生首が歌いだし、窓という窓には赤いドレスを着た首のない女たちが佇んでいます。それを見つめるのは、観光クルーズ船上のオリンピック選手団!
と思えば、吉沢恋さんが金メダルをとったスケートボードの会場・コンコルド広場は、18世紀に革命広場と呼ばれ、ギロチン刑が処せられたところ。前夜、一夜にして老婆のような白髪になったと伝わるアントワネットは、ここで王妃として断頭台へ毅然と歩を進めたのです。
今回紹介する世界遺産は「パリのセーヌ河岸」です。サン・ルイ島の上流側にあるシュリ橋から、エッフェル塔とシャイヨー宮をつなぐイエナ橋までの約5㎞におよぶセーヌ川とその河畔の歴史的建造物の数々がエリアとして登録されています。
205もの国や地域を代表するアスリートをのせた85隻の船が、開会式の選手入場としてパレードをしたセーヌ川、さらに聖火が手渡されたエッフェル塔下のトロカデロ広場や、フランスが発明した熱気球のように宙に浮く聖火台があるチュイルリー公園も、式典のほぼすべてが世界遺産を舞台にしていました。
パリが、現在目にするような「花の都」に生まれ変わったのは、ナポレオン3世が第二帝政期(1852~70年)に大改造したことによります。中世から続くゴミゴミした路地と密集した住宅を情け容赦なく壊し、まっ直ぐな道を通しました。狭くて不潔で老朽化した街は、19世紀、スペクタクルな街に生まれ変わりました。