TBSの人気番組「世界遺産」の放送開始時よりディレクターとして、2005年からはプロデューサーとして、20年以上制作に携わった髙城千昭氏。世界遺産を知り尽くした著者ならではの世界遺産の読み解きと、意外と知られていない見どころをお届けします。
文=髙城千昭 取材協力=春燈社(小西眞由美)
ヨーロッパでモンゴルの大平原に出会う
「世界遺産を知れば、その国が分かる」……こんな格言があります。
今回紹介する世界遺産は、「ホルトバージ国立公園:プスタ(大平原)」です。「プスタ」と呼ばれるハンガリーの大平原なのですが、自然遺産ではなく文化遺産として選ばれています。
なぜかというと、1990年代に新たにその価値が評価されるようになった「文化的景観」、いわば「自然と人間の共同作品」という登録基準(10の基準がある)が認められた世界遺産なのです。ここでは、騎馬の民が牛や羊を追い、一面の草原を駆けぬけてゆきます。中央ヨーロッパなのに、ここはモンゴル? そんな錯覚に陥るほど、自然を活かしつつ人間が手を加えることで、調和のとれた風景を創りだしています。
地平線の彼方、かげろうの先に真っ赤な太陽が沈んでゆきます。大地に「イ」の字型のシルエットを描き出すのは「はねつるべ井戸」。かたわらで土煙をたなびき、数十頭の灰色牛が牧舎へと急ぎます。サルバドール・ダリの髭を想わせる牛たちの立派な角が、小刻みに揺れ重なり、その風景はシュールで、見る者の現実感を失わせます。
これらは実際に私がホルトバージ国立公園で目にした光景で、こんな風に詩的に語りたくなるのがプスタなのです。
中央アジアに暮らしていた遊牧の民マジャール人(ハンガリー人は自らをこう呼ぶ)が、ドナウ川中流域の大平原に初めて足を踏み入れたのは9世紀でした。テントを携え牧草地を求めて、西へ西へと旅をつづけてきた彼らがたどり着いたのは、ユーラシア大陸の一番西にある大平原。その先にはアルプス山脈がそびえています。マジャール人はこの大平原を安住の地と定め、牛や羊を放ち、馬とともに暮らし始めます。
その頃には森もありましたが、やがて木々を伐採し尽くしてしまうと川が氾濫し、その水が引かず湿地帯になります。19世紀の治水工事で改善されますが、今度は塩が吹きでて農耕に不向きな草原に変わってしまいました。「プスタ」とは本来、「荒れ地」を意味しているのです。
西暦896年にハンガリーを建国したというマジャールの7部族。以来、彼らの1000年を超えるハンガリー牧畜文化の姿を留めているのが、ここホルトバージ国立公園です。ヨーロッパ大陸の中でひときわ異彩をはなつ光景は、20世紀、民族固有の伝統が失われつつある中で再発見され、ハンガリー人の「心の故郷」になりました。
人間の営みが悠久の時をかけて作り上げた風景。どうです、まさに文化的景観そのものではありませんか?