「日本駆け込み寺という母体がなくなれば何も続けられない」
──歌舞伎町に事務所をかまえ、高額請求するホストや、被害者、被害者の家族などと対面で向き合い、その実情を国会議員やメディアに語ることによって、ホストクラブの高額請求問題が広く認知された側面は大きく、ここを目の敵にしていたホストクラブ、スカウト集団、反社組織は少なくないと思います。日本駆け込み寺がなくなったり、規模が小さくなったりすると、どんな影響が出ると思いますか?
玄:ホストクラブはまた過激になるでしょうね。やりたい放題になるでしょう。毎月8日に、青母連では、ホストの被害に遭っている人たちの家族会をやっています。それも続けられなくなるでしょう。
日本駆け込み寺という母体がなくなったら何も続けられません。相談者の方々からはなんとか続けてほしいと言われますが、今はこちらもピンチなのです。
──逮捕後、田中元事務局長とは会ったり話したりしましたか?
玄:逮捕後は、接見禁止なので全く会っていません。どんな形であれ、拘置所なり刑務所なりから出られたら、真っ先に謝罪会見をしてほしい。
どういうことを言ってほしいなんて口裏合わせも一切しません。ただ、弁護士を通して「せめて謝罪文ぐらいは出してほしい」と要望を伝えています。こんなことを言えばまた世間から批判を受けると思いますが、本心を言えば、私たちだって被害者ですよ。
田中にはずっと言ってきました。夜は携帯電話の電源を切って、相談者からの連絡を受けるなと。相談者の女性の部屋にあがったら絶対ダメだと。何度も言ってきたのに。
玄秀盛(げん・ひでもり)
1956年、大阪市西成区生まれ。在日韓国人として生を受け、「4人の母」と「4人の父」のもとを転々として育つ。中学卒業後、自動車修理工を皮切りに、すし職人、トラック運転手、葬儀屋、キャバレー店長など28の業種におよぶさまざまな職業を経験する。その後、建設、不動産、金融、調査業など10社あまりの会社をおこし、経営者の道へ。33歳のとき、酒井大阿闍梨のもとで得度するなど、特異で壮絶な人生をくぐり抜けてきた。2000年、白血病を発症し、治療を経て、それまでの人生を180度変え、すべてを捨てて「過去と決別」することを決意し、暴力や金銭トラブルなどさまざまな問題を抱えた人たちを救済するためにボランティア活動を始めた。
長野光(ながの・ひかる)
ビデオジャーナリスト
高校卒業後に渡米、米ラトガーズ大学卒業(専攻は美術)。芸術家のアシスタント、テレビ番組制作会社、日経BPニューヨーク支局記者、市場調査会社などを経て独立。JBpressの動画シリーズ「Straight Talk」リポーター。YouTubeチャンネル「著者が語る」を運営し、本の著者にインタビューしている。