ドイツとデンマークの国境付近。国境警備が強化されている(写真:ロイター/アフロ)
イギリスで難民の受け入れを見直す議論が活発になっている。シャバナ・マフムード英国内務大臣は、11月に難民受け入れの制度を変更する計画を議会下院で説明し、BBCの番組でその意義を国民に向けて語った。英政府は移民・難民政策を近年、劇的に見直しているデンマークを参考にしているという。
進歩的と言われたデンマークは、なぜ移民・難民の受け入れを大きく見直してきたのか。この問題に詳しいデンマークのロスキレ大学社会科学・経営学部グローバルスタディーズ ミシェル・ペース教授に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)
──デンマークはかつて世界で最もオープンな移民・難民政策を取っていたようですが、どのように変化してきたのでしょうか?
ミシェル・ペース氏(以下、ペース):伝統的に、比較的均質的で平等主義的な福祉国家であったデンマークは、2000年代以降、人道的保護に対するリベラルなアプローチから、極めて厳格な移民・難民政策へと移行しています。そして今では、新たな移民規制を検討する国々にとって最前線をいくモデルになり始めています。
デンマークは長きにわたり移民たちと共存してきた歴史を持つ国です。
1893年から1929年の間に、ゲストワーカーという形で多くのポーランド人を受け入れました。こうしたポーランドからの移民は、特に農業、中でもビーツの生産などに多くの人が従事しました。1914年には、デンマークに最も多い1万4000人ほどのポーランド人農業労働者がいました。
第一次大戦があり、こうしたゲストワーカーの数は一時的に激減して、ほとんどのポーランド人は帰国しましたが、3000〜4000人はデンマークに残り永住する道を選びました。
1951年に難民条約(難民の地位に関する条約)ができたときに、デンマークは最初に署名・批准しました。それ以降、144の国と地域がこの条約に署名しました。
この条約は、迫害を受けるおそれがある人々を「難民」と定義して、これらの人々の地位や、受け入れ国が守るべき最低限の人道的基準を保障するものです。つまり、この時点ではまだ、デンマークは積極的に移民・難民を受け入れていたのです。
1960-70年代にデンマークに来た外国人労働者の多くは、トルコ、ユーゴスラビア、パキスタンなどから来た人々で、デンマークの労働力不足を補うために、一時的に出稼ぎ労働者として移住することを期待されていました。
ところが多くの場合、こうした出稼ぎ労働で来た人々は労働市場に統合され、子供もデンマークの学校に通うようになっていたため、帰国せずに残りました。現在、デンマークにはパキスタン系の2世や3世の大きなコミュニティがあります。
今のデンマークでは、いわゆる「純粋なデンマーク人」ではない人の人口は全体の15.1%です。この中には、移民とその子孫が入ります。
デンマークには、イラン、アフガニスタン、シリア、パレスチナなどからの難民も数多くいます。今日では「ゲストワーカー」という表現は、差別的な意味を帯びて意図的に使われることが少なくありません。
──フランスなどが典型的ですが、移民のコミュニティとその国に昔からいた人々のコミュニティが分離して、移民の子供たちがその国になじめずに、テロリズムや犯罪などの要因になりがちだと言われます。デンマークでも似た状況が見られますか?