鱗形屋の低迷が耕書堂に与えた影響とは?
ドラマでは、鱗形屋孫兵衛(うろこがたや まごべえ)が重版事件の余波で経営状況が厳しくなると、たちまち蔦重が台頭した格好になっている。しかし、実際はそう単純ではなかったらしい。
鱗形屋は、安永8(1779)年に出版点数が激減。その後、黄表紙(寛文年間[1661~1673年]頃から流行した挿絵入りの絵物語)の出版自体が消滅している。
一方、耕書堂も、それまで順調に増えていた刊行物が安永7(1778)年には『吉原細見』の一種のみとなり、翌年の安永8年も『吉原細見』以外には、短い笑話を集めた咄本(はなしぼん)2種のみと苦戦している。苦境の時期が重なっていることから、鱗形屋の経営が傾いたことが、蔦重の耕書堂にも何かしらのマイナス面をもたらしたようだ。
それでも長期的にみれば、鱗形屋の低迷が耕書堂に大きなメリットをもたらしたこともまた確かだ。安永9(1780)年にいきなり15種もの出版物を刊行。しかも、15種の出版物のうち、すでに売れっ子だった朋誠堂喜三二(ほうせいどう きさんじ)の作品が3種も占めている。耕書堂はまだ駆け出しの版元だったにもかかわらず、喜三二が積極的に仕事をしたいと思えるほどの魅力が蔦重にはあったということだろう。
鶴屋喜右衛門(つるや きえもん)のような大手の版元からすれば、面白くはなかったに違いない。ドラマにあるように、耕書堂の台頭にほかの地本問屋たちが危機感を募らせた、というのは十分にあり得る話だ。