正路は大坂西町奉行を辞した後、江戸に戻り、12代将軍・徳川家慶の御側御用取次(おそばごようとりつぎ)に就任しました。この役職は、まさに将軍の側近中の側近で、将軍と老中の取り次ぎ役でした。正路が将軍からどれほど厚い信頼を得ていたか、そして、幕府の中でいかに重要な要職に就いていたかがわかります。

 また正路は、水野忠邦らと共に、かの有名な「天保の改革」にも参画したそうです。

かつての屋敷は田安門付近

 正路にまつわるさまざまな話を伺いながら、皇居(元・江戸城)の堀端まで来たときです。正裕さんが、

「そうだ、昔、うちの家があった場所で、お茶でもしていきませんか」

 と言われました。

「えっ、この近くに正路さんのお屋敷があったのですか?」

 私がびっくりしてそう尋ねると、

「そうなんです。正路は将軍の御側御用取次でしたから、いつでもすぐに江戸城へ駆けつけられるよう、堀端に居を構えていたようですね」

千代田区の地図の前で、先祖の屋敷があったあたりを指さす正裕さん

 そんな会話をしながら、少し歩いて案内されたのは、なんと、九段会館(旧軍人会館)ではありませんか。目の前には、お堀をはさんで日本武道館が見えます。

「先祖は九段会館や昭和館が建つちょうどこの辺りに住んでいました。もちろん、私は住んだことはありませんが、それでも、ここへきてお茶を飲むと、なんだかほっとするんですよね……」

 まさか、皇居に隣接する九段会館の一帯が、新見さんの「昔のお家」だったとは……。

 驚きながらも、ここで飲んだコーヒーは味わい深いものがありました。

かつて先祖のお屋敷はこのあたりに建っていたという、千代田区の九段会館&昭和館をバックに、正裕さん