初代歌川広重「本朝名所大坂天保山」の壁面タイル画(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

開成学園の創始者であり、万延元年遣米使節、文久遣欧使節の随員として幕末に地球を2周した佐野鼎(かなえ)の足跡を、傍系子孫のノンフィクション作家・柳原三佳氏が辿る本連載。第70回は、万博会場でもある大阪ベイエリアで、天保時代に大規模な浚渫工事を手がけた大坂西町奉行・新見正路を取り上げる。

(柳原 三佳・ノンフィクション作家)

大阪の名所「天保山」は江戸時代につくられた人工山

 何かと話題の尽きない大阪・関西万博ですが、4月13日に開幕してから早3週間が経過しました。準備が遅れていたインド館とブルネイ館も、ゴールデンウィーク中になんとかオープンにこぎつけ、あとは、工事費用の支払いが滞っているというネパール館の開館を待つのみです。

 今回の会場となっている大阪湾の夢洲(ゆめしま)は、廃棄物の最終処分場としてつくられた人工島です。面積は約390ヘクタールで、甲子園球場約100個分の広さとのこと。着工は1970年代でしたが、その後、約50年の歳月を経て、今年1月、地下鉄「夢洲駅」が開業しました。

「大阪ベイエリア」と呼ばれているこの界隈には、「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」や「天保山マーケットプレイス」「海遊館」など、若者に人気のスポットがあり、新しい街というイメージを抱いている方も多いと思います。

大阪ベイエリア

 でも実は、ベイエリア観光の中心的存在である「天保山(てんぽうざん)」は、江戸時代の後期につくられた「築山」であることをご存じでしょうか。

 そこで今回は、本連載の主人公・佐野鼎と間接的なかかわりを持つ、ある人物の功績を取り上げながら、「大阪ベイエリア」開発の歴史を振り返ってみたいと思います。

現代の天保山といえば大観覧車や水族館「海遊館」が有名だ(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)